道路陥没事故が起きた八潮市 「潮」の一字が伝える土地の記憶と先人の警告

国内 社会

  • ブックマーク

地名は失われても公園に名を留める

 ただ、そういう地名が残っているとはかぎらない。たとえば、名古屋市天白区では2000年の東海豪雨で天白川が氾濫。区内の各地に濁流が押し寄せて死者も発生し、のちに内閣府が激甚災害に指定した。この地域は新興住宅街で、災害を予見できそうな地名は見当たらない。だが、天白区植田山に「蛇崩第一公園」という名の公園がある。

 この地域には、かつては「蛇崩」という地名があり、その記憶が公園の名に残っていたのである。前述したように、「蛇」は川が激しく蛇行する様子を象徴しうる。それが崩れるというのである。

 また、2014年に広島市安佐南区や安佐北区で大規模な土砂災害が発生した。なかでも被害が大きかった八木地区は、がけ崩れなどの警戒区域の指定外だったため、油断があって被害が拡大したと指摘された。じつは、この地域は古くは「蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」と呼ばれていたという。蛇が地に落ちる悪い谷だとはたいそうな呼び名で、過去にもよほど甚大な土砂災害が発生していた、ということではないだろうか。

 しかし、開発が進んで響きのよい地名に変更されてしまうと、地名に刻まれた先人の警告は伝わらなくなってしまう。

地名には土地の記憶が詰まっている

 気をつけるべき点もある。前述したような文字が表すのは、あくまでも可能性である。現実に、河川が氾濫したことでついた地名、土砂崩れが起きたからついた地名だったとしても、そういう名がつく場所では災害が起きる、というわけではない。そう呼ばれるエリア全体が危険だというわけでもない。その土地は危険だといった言説が広がって、地価が下がるようなこともあってはならない。

 ただ、地名には土地の記憶が詰まっていることはまちがいない。それなのに、とくに高度成長期以降、合理性だけを求めて住居表示を改変し、さらには古来の由緒ある地名が、たんにイメージだけを優先したハイカラな名前に変えられたりした。平成の大合併の際も、なんの配慮もされずに消えていった歴史的な地名が多かった。

 地名とともに土地の記憶を捨てると、災害の可能性を予知できなくなるだけではない。私たちが、自分自身の住む土地の歴史や伝統から切り離され、その土地や地域に親しみや誇りをいだけなくなるということでもある。

 石破茂総理は「若者や女性に選ばれる楽しい地方」をめざすという。だったら、ぜひ考えてほしい。地方に住まい、地方に誇りを持つためには、自分が住む地域の歴史や伝統に誇りが持てることが不可欠だろう。地名が歴史や伝統と切り離され、その土地ならではの独自色が失われてしまったとき、その地域に執着する気持ちも薄らぐのではないだろうか。

 八潮で起きた不幸な事故が、せめて地名を見直すきっかけになるといいのだが。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。