席を譲られて「大丈夫です」と言うのやめませんか? なぜか親切を拒否する日本人(中川淳一郎)

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 日本人は「親切」と「親切を受け入れての感謝」の非対称性が非常に顕著だと思います。困っている時に親切にされたいと心根では思っても、いざ手を差し伸べてくれる人には「全然大丈夫ですぅ~、お気になさらないでください~」なんて言いがちです。でも人々は、他人に対して親切にしようと努めます。

 具体例を。1時間に2本しか来ない都市間バスに乗ろうと焦っている時に走って転び、手の平を地面に擦って皮膚がめくれて血が出たとします。その状態でバスに乗り、「痛いな~」なんて思いつつ傷口を眺めていたら、斜め後ろのおばさまが「これ、使いませんか?」とウェットティッシュのパックを出してきました。

 だが、転んだ当人は「全然大丈夫ですぅ~」などと言い、オファーを断る。コレ、コレです! ここではウェットティッシュをありがたくいただくべきところ、ケガした当人は、

「私がもらってしまっては、この人のウェットティッシュを消費してしまい、この人が使うべきものを無駄に浪費することになる」

 と考える。

「このウェットティッシュはパックで248円はするよな。私に1枚渡したら約25円だ。でも、この人はおそらく残り分も含めて私に渡してくれることになるかもしれない。バス代の4分の1ほどのお金をこの人に使わせることになるのは申し訳ない!」

 といった配慮をする。

 まさに「非対称性」なんです。手を擦ったケガ人からすればウェットティッシュのオファーは本来ありがたいもの。ウェットティッシュを提供してくれる人もまた「この人は苦しいだろう。少しでもその苦痛を和らげたい」と申し出をしてくれるわけです。

 しかし、日本人は律義なんだか人の施しを受けるのを恥と考えるのか、ナンなんだか分からないのですが、「いや、全然大丈夫ですぅ~」とついつい拒んでしまう。

 正直、ウェットティッシュを出す側からしてみれば、248円の品だろうが別に構わないんです。目の前にいる人が苦しんでいるから少しでも私がお役に立てるならば役に立ちたいです、と考えている。

 問題は、親身なる提案を受けた側が「大丈夫です」「それは結構です」なんてやったら、親切にしてあげた側が気まずい状況になるのを「受けた側」がなぜ理解できないのかという点。 

 よくあるじゃないですか。電車に座っていて、高齢者が目の前に立ったところで「どうぞ」と席を立つ。相手はさもウザそうな仏頂面99%の表情で手をヒラヒラさせて、「いらねぇんだよ(いらないのよ)、そんな気遣い」とのポーズを取る。

 ウェットティッシュを差し出し、席を立つ側からすればさして大仰なことをしたつもりはない。相手に少しでもラクになってもらいたいだけ。なのに、受ける側は「そんな親切、不要でございます」となる。

 普通に「痛そうですね。コレどうぞ」「オ~! ありがとうございます。助かります」「これから旅路は長いでしょうからパックごとどうぞ」「オ~、本当にありがとうございます!」でいいのではないですか。

 提案を受け入れても相手に迷惑をかけるわけでなし。 非対称性の解消を!

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』など。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2025年2月6日号掲載

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