M&Aで「騙された」 2.6億円を失い借金4億円…夢の隠退生活を奪われた63歳社長の悔恨

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提示された条件はまっとうだった

 ほどなく、A氏は買収に興味を示しているという都内の貿易会社F社を紹介されることになる。

「提示された条件であれば、誰にも迷惑を掛けることなく、いい形で経営から身を引くことができそうだと思いました」

 その条件とは、主に以下の通りだった。

・滞っていた海外工場などへ約5000万円の支払いはは、事業を継承するF社が履行する。
・会社の運転資金として借り受けていた融資の「個人保証」(融資の保証人になること)からA氏を外す。
・従業員の雇用を継続する。
・会社が10年前から積み立てていた金融商品の償還金約8000万円を、A氏への退職慰労金として支払う。

 かくして2023年春、A氏はT社を介し、F社への事業売却の契約を締結し、自身は引き継ぎのため代表権のない会長職として会社に残ることになった。だが……。

「それから“おかしい”と気付くのに、3か月もかかりませんでした。最初の異変は会社をホールディングスとして傘下に置いたF社からの資金注入が停止されたことです」(同)

 事業の継承後、会社の支払いや給与・家賃などの運転資金は、必要額が都度、F社から支払われることになっており、会社に残っていた資金はF社の口座に移管されていた。

「最初の数回はちゃんと必要額を伝えると、その通りに振り込みがあったのですが、数か月もしないうちにそれがパタリと止んでしまったのです」(同)

 ただ、それはこれから起こる“異変”の前兆に過ぎなかったのだ。

「最初から事業を継承する気なんてなかった」

「F社との“約束”と捉えていた個人保証の解除が進む気配が全くないのです。銀行との折衝は、F社から派遣されてきた中小企業診断士の女性が担当すると言われた。その女性はこれまで同様のケースを多く担当したと聞かされていたので安心していたのですが、本人を問い詰めると“経験豊富”は真っ赤な嘘であることが分かりました」(同)

 退職慰労金として支払われるはずだった約8000万円分の金融商品も、解除されなかった個人保証を理由に、融資元の銀行に差し押さえられてしまったという。

「それだけではありません。引き継がれるものと思っていたスマホケースの事業は停止され、取引先の携帯キャリアや量販店には一方的に取引中止のメールが送られていました。雇用を続けると言われていた従業員も、経営悪化を理由に9か月後には全員解雇されてしまいました」(同)

 目の前で“崩壊”していく会社を何とかしようと、A氏はF社の代表者に何度も直談判するのだが、「今は再建の途中だから少し待ってくれ」「個人保証の解除はあくまで努力義務だから」と、かわされてしまう。

「個人保証の解除については、仲介のT社から、解除は既定路線でM&A業界ではそういう扱いがスタンダードだと、説明を受けていました。大手町に立派な本社を構えている信頼できる会社だという認識でしたので、T社のいうことをその時はすっかり信じていました」(同)

 結局、会社の事業資金約1.1億円と、既に販売済みだったスマホケースの売上金1.5億円はF社の手に渡り、A氏に残ったのは従業員がいなくなり書類が散乱するオフィスと、個人保証による債務約4億円だけだった。

「F社は初めから事業を継承する気なんてさらさらなかった。会社にあるカネを可能な限り吸い尽くしたあと、投げ捨てる腹積もりだったのです。私は、仲介したT社も“共犯“なのではと疑っています。こんなの詐欺じゃないですか」(同)

 A氏がそう確信するのには他にも理由がある。実はF社に買収されたあと、会社を崩壊させられた“被害者”は全国に数十社あったのだ。地域は様々で秋田・新潟・福島・神奈川・埼玉・東京・広島などと全国的だった。

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