「革命優先の世界では、好きな人が亡くなろうが…」 12人死亡「山岳ベース事件」メンバー・植垣康博氏が明かしていた“本音”
植垣氏が考える事件の原因
93年、最高裁で懲役20年の刑が確定。98年に出所した時には逮捕から約27年がたち、49歳になっていた。
植垣氏は事件の原因には党派の論理があり、それは連合赤軍に特別なものではなく、総括要求は会社人間を作る教育を極端にしたものと語っている。「自分の問題を何か出せ」と要求し、どんどん追い詰めて、組織の論理と同じ言動をしなければ生きていけないところまで個性を解体していく。この過程で暴力が現れたと、自身を総括するに至った。
「語らずとも内面では反省」
2001年、静岡市内にスナック「バロン」を開く。バロンは氏のあだ名だった。
「語らずとも内面では反省を重ねていた。一方で変革は必要という根っこは一貫している。懐古主義的な話はしない。“仲間に通じるだけの言葉を言い合っても広く理解されない”と将来の具体的な方向性を考える実直さがあった」(木村氏)
05年、中国・黒竜江省出身の留学生で33歳年下の女性と結婚。1男を授かる。
請われて講演はしても、政治的な活動はしなかった。
事件から半世紀経た22年、取材に丁寧に応じていたが体調を崩す。脳梗塞で倒れ糖尿病も進む。
23年春に介護施設に入り、1月23日、誤嚥性肺炎のため76歳で逝去。
革命は起こすものではなく起きるもの。誰も求めていないのに起こそうとすれば無理が生じるとも語った。