古市憲寿がイスタンブールで“驚いた光景”とは? 「現地に行って気付かされることはある、と思い知らされた」

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 ハンガリーのブダペストへ行っていた。壮麗な街並よりも、たまたま乗ったタクシーの運転手がずっとテレビ批判をしていたのが印象的だった。いわく、マスコミは政府に支配されたフェイクニュースと、資本主義に毒された広告ばかり。だからこそ自分の頭で考える必要がある。彼は30歳。兵庫県知事選しかり、世界中で似たような現象が起きているのかもしれない。

 さて、ブダペストから日本への直行便はないので、イスタンブール経由で帰国することにした。わざと乗り継ぎを12時間に設定して、イスタンブールの街を散策する。ちなみにトルコ航空では、トランジットが長い人向けに無料ツアーを提供している。今回は利用しなかったが、空港から市街地は意外と距離があるので、ツアーも悪くないと思う。

 イスタンブールは地政学上の要衝である。ヨーロッパとアジアの境界地点にあり、東西交易の中心地だった。長らく東ローマ帝国の首都として繁栄を誇り、1453年からはオスマン帝国の首都に。つまりキリスト教の三大分流の一つ東方正教会の大本山から、イスラム教の都市になったのだ。

 大聖堂アヤソフィアは、改装されモスクとして有効活用されたので、今でもキリスト教文化とイスラム教文化の両者を鑑賞することができる。特に巨大な中央ドームは圧巻だ。キリスト教壁画も、破壊ではなく隠すという対応が採られたため、むしろ保存状況がいい(ちなみに同じキリスト教であるはずの十字軍は1204年に同市を占拠し、壁画を含めた数多くの文化財を破壊している)。

 ヨーロッパとアジアの両岸を隔てるのがボスポラス海峡だ。ここまでは「世界史」や「地理」の知識だが、現地に行って驚かされるのは、釣り人の多さである。湾に架けられた橋は、歩道を埋め尽くすように釣りを楽しむ人で溢れていた。しかもほぼ全員が大漁なのだ。大した工夫もなく、糸さえ垂らしていれば誰でも釣れるレベルである。潮流の変化や季節によって、カツオからサバやイカまで、さまざまな魚が豊富に取れるという。橋の下層にはシーフードレストランが軒を連ねていて、新鮮な魚を食べることもできる。

 この豊富な漁業資源はイスタンブールの発展にも寄与してきた。古来、魚は重要なタンパク源だったし、街が拡大するにつれて漁業のみならず水産加工業が発展してきた。「漁網を使わなくても、ヒシャクで魚がすくえる」という言葉が残るほど、昔から簡単に魚が取れたらしい。

 オランダも「ニシンが築いた国」と言われるし、アメリカのボストンも「タラが街を支えた」という。もちろん海に囲まれた日本列島の発展にも、魚が欠かせなかった。それでもイスタンブールほど数多くの魚が回遊してくる街は珍しい。世界中の情報が簡単に手に入る時代でも、現地に行って気付かされることはあると思い知らされた。今回でいえば魚の生臭さもだ。本当に知って意味があったのかは別問題である。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年2月6日号掲載

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