「不良漫画にハマり、中学時代からLARKを吸っていた」 中居正広氏、デビュー前夜のエピソードを元グループメンバーが明かす

エンタメ

  • ブックマーク

 トラブルについて何の説明もなく、突然の引退表明――。後味の悪さだけを残した中居正広氏(52)だが、彼はいかにして国民的スターに上り詰めたのか。デビュー前夜のエピソードを紹介する。

 ***

 神奈川県の南、いわゆる“湘南”エリアにあたる藤沢市。中居氏は、この街で3人兄弟の末っ子として生まれ育った。

 近隣住民によれば、

「お父さんはバイトのような仕事をして稼いでいたようです。お母さんは、百貨店で働いていると聞きました。長男はパンチパーマでとっぽい感じ。次男は真面目な雰囲気でしたね。中居君は小奇麗で見た目もかわいく、三兄弟の中でも存在感がありました」

 父が定職に就いていないこともあり、幼少期は貧困生活を送っていたと本人は語っている。食事ではおかずがない日も多く、そんな時は白飯に水をかけて食べる「水かけご飯」でしのいでいたというのは有名な話だ。

「“短ラン”を着るくらいで、本当に悪いことはしてなかった」

 そんな陰鬱(いんうつ)な幼少期のエピソードとは裏腹に、近所では元気な野球少年で通っていた。

「小学生の頃は、よく家の前の道路でお父さんとキャッチボールをしていたんですよ。仲の良い親子でしたね」(前出の近隣住民)

 野球に没頭していた中居氏だったが、小学校卒業を目前にして肘を故障し、野球を断念。中学校では、バスケットボール部へ入部することとなった。

 当時の同級生によると、

「バスケの練習はあまりせず、放課後は自転車を乗り回して近所をぶらぶらしていました」

 友人と本屋や貸しレコード屋、ショッピングセンターに行く毎日だったという。

「雑誌の『明星』や『平凡』を毎週欠かさず買って、学校に持って来ていたので、アイドルに憧れがあったんでしょうね。チェッカーズをよく聴いていて、藤井フミヤさんが好きだったようです。当時、不良漫画の『ビー・バップ・ハイスクール』がはやっていて、中居もハマっていました。でも、学生服を改造した“短ラン”を着るくらいで、本当に悪いことはしてなかったです」(同)

次ページ:LARKを吸っていた

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。