「昭和天皇崩御」、「大平総理の内閣葬」では“クラシック通”として活躍 「俵孝太郎さん」知られざる“もう一つの顔”
産経新聞出身の政治評論家で、ニュースキャスターとしても活躍した俵孝太郎さんが、1月1日に肺がんのため亡くなっていたことが報じられた。享年94。
音楽ライターの富樫鉄火さんは、40年近く前、週刊新潮の記者時代に、何度となく俵さんに取材でお世話になったという。実は俵さんは、日本でも有数の、クラシック音盤コレクターでもあった。そんな俵さんの“もうひとつの顔”について、富樫さんに緊急寄稿してもらった。
【写真】大好きなクラシック作品に囲まれて、満面の笑みを見せる俵さん
大変なクラシック好き
かつて週刊新潮は、毎週日曜日深夜が、特集記事の最初の締め切りでした。その際、政治関係の記事で辛口の解説コメントが足りないときに、しばしばお世話になったのが、俵孝太郎さんです。
日曜日の夜10時ころに電話すると、すぐに「はい」と、あのすこしこもったような声で出てくださいます。さっそく記事の主旨を説明し、「どうお感じになりますか」とたずねると、しばらく沈黙し、やがておもむろに「だいたい、いまの自民党は……」と、寸鉄人を刺すような、見事なコメントが出てくるのです。ラジオやテレビで鍛えられていたのでしょう、短いことばでズバリと表現する能力は、すごいものでした。おおむね、俵さんのコメントは、記事の最後の“締め”に使用され、編集部では「困った時の俵さんだのみ」という記者もいました。
そんな俵さんですが、夜に電話取材すると、よく受話器のむこうから、荘重なクラシック音楽が聴こえてくるのです。夜は、趣味の音楽を聴きながら、過ごされているようでした。その後、俵さんに取材する際、最後に、クラシックの雑談をするようになりました。電話取材がほとんどでしたが、時間のあるときは、当時、新宿・河田町にあったフジテレビや、四谷にあった文化放送でお会いしたこともありました。
後年、俵さんは、クラシックCDのガイドブック的な本を2点(新版改訂も含むと3点)、出版されました。そのなかに、取材の余談でうかがった話も含まれていました。いま読み返すと、「ああ、この話、フジテレビでうかがったなあ」と懐かしく思い出されます。
俵さんの、もうひとつの顔を知っていただきたく、当時のお話と、御著書の内容を織り交ぜながら、“クラシック愛好家”俵孝太郎さんを、偲びたいと思います。
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