なぜ「中居正広」は引退せざるを得なかったのか 「傍流グループ」のリーダーがテレビに居場所を見つけた“功と罪”
緻密な準備
中居:僕は今はトーク番組とかバラエティ番組が多いと思うんですけれど、トークのスキルを一番最初に見出してくれたのがジャニーさんだったんですね。それも15とか16(歳)の時だったんですけど。先輩の光GENJIの前説っていうんですか、ライブが始まる15分前に1人で舞台で喋るんですよ、ライブ会場で。15、16ですから喋れないんですけど、前説をやりなさいって。ジャニーさんが直接本番前に、毎回毎回、台本を書いてくれて。僕はそれを丸暗記してステージへ(中略)。ホント、不思議だったんです。この世界に入ってからマッチみたいになりたいとか、少年隊みたいになりたいとか思ってるのに、なんで俺、トークばっかさせられるんだろう……。
もちろん天賦の才能だけではなかったという。
「中居さんはMCとして非常に緻密な準備を行っていました。楽屋にひとりで籠って動きをシミュレーションしたり、気になる文章や言葉、本を読んでわからなかった漢字などをまとめたノートを1年に3冊ほどのペースでつけていたりしたそうです。歌番組などのMCの際には、2日前までにはアーティストのCDをもらって曲を聴き、歌詞を熟読して気になったことをノートにまとめるといった作業もしていたと言います。その一方で、『ザ!世界仰天ニュース』(日テレ)で共にMCを務めた笑福亭鶴瓶さんが台本も読まずに本番15分前にフラーっとやって来て仕事をこなす姿を見て、中居さんは羨ましく思っていたとも……」(霜田氏)
同じMCとして尊敬する先輩はいたのだろうか。
テレビに絞ったために
「中居さんがバラエティの世界で交友を深めたのがタモリさんです。中居さんは94年から20年間にわたって『笑っていいとも!』(フジテレビ)のレギュラーを務めました。タモリさんはテレビに出始めた頃は、“見たことのない存在”だったため拒否感を持つ人も少なくなかったといいます。中居さんも当初は『アイドルがバラエティなんてけしからん』といった声があったんです。彼はアイドルとして御法度なはずの恋バナや下ネタを意識的に話していましたから。タモリさんと中居さんは後ろ指を差されながらも独自路線で頑張るところに、お互い親近感を抱いていたのではないかと思います。『SMAP×SMAP』(フジ)の最終回のゲストにタモリさんが出演したことはとても象徴的だと思います」(霜田氏)
そんな中居氏が仕事をテレビに絞ったのはSMAP解散後だという。
「SMAP解散後、新しい地図の3人(稲垣、草なぎ、香取)はジャニーズを退所したことで露出が減りましたが、歌手や俳優として頑張っています。木村さんも同様に活躍しています。一方の中居さんは、歌手と俳優の仕事は選びませんでした。MCとして大成する過程でファンとは一定の距離を置き、テレビタレントとして独自の立ち位置を維持し続けたのです」(霜田氏)
2020年には彼もジャニーズを退所し、個人事務所を設立した。テレビに活躍の場を絞ったため、より局との関係は深くなっていった。その延長線上に今回の事件があるのかもしれない。とはいえ、よりによってジャニー喜多川氏による性加害がクローズアップされていた23年に、中居氏も女性トラブルを引き起こしてしまった。
「中居さんは、SMAP解散後は特に仕事をテレビに振り切りました。そのせいで今回のような不祥事に弱くなったところもあると思います。自分の意思で自ら作り上げるステージと違い、スポンサーや局の意向に左右されるテレビでは活躍の場がなくなってしまい、引退せざるを得なかったのだと思います」(霜田氏)
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