なぜ「中居正広」は引退せざるを得なかったのか 「傍流グループ」のリーダーがテレビに居場所を見つけた“功と罪”
トークと仕切りに定評のあった元タレントの中居正広氏(52)だが、別れの言葉は公式サイトに“文書”を発表したのみ。自らの口で何も語ることなく芸能界を去ったのはなぜか――。
***
【写真】「ふざけてる訳じゃないんだよね…?」中居正広の声明を発表した“公式サイト”がゆるすぎる あまりにシュールな実際の画面をみる
言うまでもないが、中居氏は国民的グループと言われたSMAPのリーダーだった。だが、華々しいデビューを飾ったわけではない。彼がジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)に入所した1987年当時、トップに君臨したのは光GENJIだった。そのバックで踊るスケートボーイズの一人に中居氏は選ばれる。12人編成のスケートボーイズの中には木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草なぎ剛、香取慎吾がおり、翌88年に彼ら6人が選抜されてSMAPが結成される。
SMAPというグループ名は「Sports Music Assemble People(スポーツと音楽を融合した人々)」の略であるといわれるが、こんな記事もある。
《ジャニー(喜多川)さんによると「SMAP」は、もともと「光GENJI」に在籍した年少メンバーたちを指した造語だったという。「S」は佐藤アツヒロのイニシャル。「M」「A」も姓からの、「P」はあだ名の頭文字。その後、「光GENJI」のバックで踊っていたメンバーらが組んだ別の6人組のユニット名となった》(スポーツニッポン:2019年7月10日)
いずれにせよ、あまり期待されていないグループだったことは間違いないようだ。「ジャニーズは努力が9割」(新潮新書)の著書がある霜田明寛氏が言う。
「ジャニーズの本流は、ステージで魅せるアイドルです。少年隊や堂本光一のような……。対してSMAPは、テレビに出て人気を集める、どちらかというと傍流と言っていいでしょう。SMAPが結成された80年代末という時代は、それまで全盛だったテレビの歌番組が下火になってきた頃だったということも大きいと思います」
ジャニ―喜多川が見出した才能
1978年にスタートした「ザ・ベストテン」(TBS)は歌番組の代名詞といえるほどの人気を誇ったが、89年9月に終了。SMAPがシングル「Can't Stop!!―LOVING―」でメジャーデビューしたのは91年だった。
「歌番組が減る中でメジャーになるためには、バラエティ番組に出ていくことが必要でした。とはいえ、それまでのアイドルといえば、マッチ(近藤真彦)や少年隊、光GENJIなど、カッコつけてなんぼの世界です。アイドルがバラエティに出るのは邪道というイメージでした。基本的には“面白い人”と“かっこいい人”は別。その中にあって、アイドルとして華があって喋りも面白い中居さんが出てきたものだから、どんどん人気を集めていったんです」(霜田氏)
彼はどのように喋りを鍛えたのだろう。
「中居さんとしても、当時のSMAPにバラエティ力が加われば武器になると気づいた上で、自らトーク力を磨いていったのではないかと思います。一方で、ジャニー喜多川さんも中居さんのトーク力に一目置き、トークの上手い先輩の様子を近くで見せたり、光GENJIの前説に立たせたりして“司会の人”として育てたフシがあります」(霜田氏)
ジャニー氏が亡くなった際、中居氏は「中居正広のニュースな会」(テレビ朝日)でこう振り返っていた。
[1/2ページ]