結婚を秘密にしたまま独身女性と交際…「騙すつもりは」 42歳“偽装男”が育った家族崩壊の半生
非行に走った弟
そんな治樹さんと父を見て、2番目の弟が家出を繰り返すようになった。彼は中学生になると悪い仲間とつるんで窃盗をし、とうとう少年院に入ってしまった。
「僕は大学に進学して家を離れ、奨学金とアルバイトでなんとかがんばっていました。末っ子の妹は母を父から引き離そうとがんばったみたいですが、なぜか母は離れなかった。妹は『あんな生き方だけはしたくない』と母を非難していましたね。早く自立したほうがいいとしか僕には言えなかった。こっちから親を捨ててやればいいんだ、と」
少年院から戻ってきた弟は、実家によりつかなかった。治樹さんは弟の友人関係を調べて居場所を探し、半年後にようやく会うことができた。弟は「大きいにいちゃんも、小さいにいちゃんもみんなオヤジに人生を狂わされた。おふくろだってそうだ、見て見ぬふりばかりしやがって」と荒れた口調で言った。
「人間はもともとひとり、最後までひとりなんだよ。でも僕らは次男の分まで生きないといけない。オヤジのことは忘れろ、自分ひとりで生き抜く道を考えろと諭しました。弟たちは親の影響をもろに受けたけど、僕自身は彼らより鈍いんでしょうか。親と自分は別人格だと小さいころから思っていた。親に振り回されるくらいなら、親なんていないと思えばいいだけ。でも弟はそうは思えなかったんでしょう。期待するから失望する。他人に期待なんかしちゃだめだと言ったら、『にいちゃんは強いな』って。弟の目に涙が浮かんでいました。寂しかったんでしょう」
弟はその後、父とはまったく違う職種だが職人となり、若くして家庭をもって落ち着いた生活をしている。自分が理想としていた父親になるんだと、あるとき悟ったように治樹さんに語った。そして愛する人と一緒になってふたりの子をもち、体を使ってめいっぱい仕事をしている。シンプルに生きるのがオレには合っていると言ったこともある。誰から見ても、いい夫、いい父親として楽しそうだ。
一方、親なんかあてにするなと言った治樹さんは、大学を卒業して中堅企業に就職した。弟のように感情が不安定になることはなかったが、常に気持ちが後ろ向きだった。
「弟は正直だったんですね。父親への鬱憤を晴らすように素行不良になって、でもいつしか改心、父を反面教師にして家族を愛して。僕はそんなふうには生きられなかった。あらゆることが常に他人事みたいに進行していくんですよ、自分の人生なのに」
久々に会った父をぶん殴る
28歳のころだったか、ふと実家に行ってみたことがあると治樹さんは言った。両親がどんな暮らしをしているのか見ておきたくなったのだという。
「当時、父は50代半ば。家の近くで仕事帰りの父とばったり会ったとき、なんだかおじいさんに見えました。父は僕を見ると、おうと手を上げた。久しぶりでもなければ、どうしたんだでもない。一緒に家に入ると、知らない女性が『お帰り』と父の手を取るようにして家に上げた。『わかる。あんた、治樹さんでしょ。ビール飲む?』と女性はご機嫌でした。おいおい、どうなってるんだよと言うと、父は『おかあさん、いなくなった』と。連絡くらい寄越せよと言ったら、出て行きたかったんだろと。こいつは性根が腐ってると思った。父親を一発ぶん殴って家を出ました。今、父がどうしているかはわかりません。弟が自殺したのは何だったのか、もうひとりが少年院に入ったのはどうしてだったのか。おまえのせいだろうと腹が立ってたまらなかった」
当時、末っ子の妹は行方がわからなくなっていた。治樹さんが「親なんか捨ててやればいい」と言ったのが心に刺さったらしく、彼女は高校を卒業することなく行方をくらました。
「そのとき、僕はまだ親に何かを期待していたのかもしれないと悔しかった。あの父親のせいで、母も僕ら子どもたちもみんなが犠牲になったような気がして」
治樹さん自身は、なかなか結婚をする気にもなれなかったし、恋愛すらめんどうだった。性欲は風俗で処理するのがいちばんラクだったという。誰からも愛されていない、必要とされていないと身に染みて感じていた。ときおり、母と妹はどうしているだろうと思ったが、あえて探しもしなかった。
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こうした壮絶な半生を送った治樹さんが、いかにして「結婚偽装」不倫に陥ってしまったのか。記事後半で、妻との出会いと不貞の一部始終を紹介している。
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