昭和天皇のすい臓がんはなぜ「慢性すい炎」と発表されたのか 衝撃の舞台裏に迫る

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自分の病気が何なのかを尋ねず

 手術後の記者会見でどう発表するか、富田長官、徳川侍従長、森岡教授、高木侍医長の四者による打ち合わせが急ぎ行われた。臨床医の経験から、がん告知に反対する高木侍医長の意見でまとまった。アメリカなどでは、がんは患者に告知すべきだといわれていたが、侍医団は高齢の陛下に告知してご負担と不安感を抱かせても何の利益もないとして、がんであることを秘すことにしたのである。

 侍医長、森岡教授らの記者会見は、真の病状をオブラートに包んだ言い方で進む。患部には炎症性の変化が見られ、がん細胞もあったが、前半部分だけ採用して、病名は「慢性すい炎の疑い」と発表された。がんであることには触れず、「慢性すい炎」で腫れた部分が腸を圧迫して通過障害が出たという説明になった。

 手術後に麻酔からさめた陛下は、「良宮はどうしているかな」と、やはり皇后さまを気遣っている。しかし、自分の病気が何なのか、最後まで侍医らに尋ねることはなかった。

 陛下は16日間入院。初めての入院生活だった。皇居坂下門の前ではお見舞いの記帳が行われ、長い列ができた。また、沖縄訪問の中止も正式に決まり、陛下から沖縄県に「訪問断念はまことに残念。健康が回復したら早い機会に訪問して、私の気持ちを伝えたい」というメッセージが伝えられた。

「サンマやイワシが食べたい」

 しかし、陛下は86歳とは思えない回復ぶりを見せる。入院中には“人間天皇”らしいエピソードが多い。手術から3日後に“排ガス”があった。腸の手術部分のつながりがよく、腸管の動きが順調になってきた証拠だ。高木侍医長が「ガスがお出になって、われわれも安心しました」と述べると、陛下はニヤッと笑った。

 食べ物の話もある。入院12日目で本格的な食事が出るようになった10月3日の昼食、陛下はフランス料理風の平目のムニエルには「食べたくない」と手をつけなかった。侍医が「もう何でも召し上がれます。ほかに食べたいものがありますか」と伺うと、「どうせ医者がダメだと言うと思って言わなかったが、サンマやイワシが食べたい」とおっしゃった。残念ながら翌日は魚河岸が休みで新鮮な魚が入らないということだった。落語の「目黒のさんま」ならぬ「陛下のさんま」の一席である。

 陛下はまた入院中に、「中秋の名月はいつか」「団子を食べたい」と言った。この報告を受け、侍医長は陛下に食欲が出てきたので退院も近いと確信。中秋の名月である10月7日の退院が決まった。この日午後、車イスに乗った陛下はワゴン車で御所に帰る間、待ち受けた報道陣をご覧になると、記者たちをじっと見つめてから何度も会釈する。いくぶんやつれた感じのお顔だったが、この会釈は回復を願う国民への退院あいさつにも思われた。

 御所では出迎えの皇后さまと半月ぶりに対面、お二人は言葉こそ交わさなかったが30秒ほど見つめ合っていた。夕食には陛下が所望したイワシの風味焼きや、団子、きぬかつぎの月見料理が添えられた。

 一方、高木侍医長にはまだ大事な仕事があった。皇太子さまへの報告である。皇太子夫妻は陛下入院中の10月3日から10日まで、アメリカ公式訪問に出ていた。本来なら9月の手術後に報告すべきだが、外国訪問中に皇太子さまが心配されないよう、侍医長は帰国後の報告にした。

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