昭和天皇のすい臓がんはなぜ「慢性すい炎」と発表されたのか 衝撃の舞台裏に迫る

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「玉体(天皇の体)にメスを入れてよいのか」

 しかし、宮内庁病院でのレントゲン検査の結果、陛下には十二指腸の末端から小腸の始めにかけて、食べたものが通りにくい通過障害があることが分かった。検査翌日の9月14日、ここで元侍医長の二人も交えた侍医団会議が開かれる。高木侍医長は「このまま放っておけば、御上はますます弱るから、通過障害がある部分のバイパス手術をして通りをよくし、ご体力の維持を図る」と、手術を主張した。これに対し、「もう少し様子を見たらどうか」という慎重な意見が元侍医長からあった。「玉体(天皇の体)にメスを入れてよいのか」という意味合いが含まれていたともいわれる。全員賛成とはならなかったが、嘔吐で苦しんでいる陛下を診察する侍医たちも侍医長と同じ考えで、前例のない天皇の開腹手術の方針が決まった。

 高木侍医長は徳川侍従長、富田朝彦(ともひこ)宮内庁長官に侍医団としての決定を伝えた。同長官は後に筆者の取材に、「侍医長の話を聞いて、陛下のご病状が深刻であることをこの時、認識した」と語り、宮内庁首脳も知らないまま事態が急展開したことを明らかにしている。

 そして富田長官は、手術を決断する前に侍医長に二つの条件を示す。陛下と皇太子さまの了解を得ること。それに、手術に耐えられる体力が陛下にあるか、手術の直前までチェックを続けること。最終的に「現代医学を信じ、長官である私の責任で手術を決定した」と語っていた。

 緊迫したやりとりの末、高木侍医長は同18日、侍従長とともに陛下に会い、病状と、手術を同22日に行うことを報告した。陛下はすべて侍医長に任せると泰然自若の様子で、「良宮(ながみや・陛下は皇后さまをこう呼んでいた)にはどうする」と、皇后さまに手術のことをどう伝えたらよいか心配していた。陛下は自分のことよりも、老いの兆候があった皇后を常に気にかけていたのである。

すい臓の一部が鶏卵大に

 一方で、陛下は体調悪化にもかかわらず帰京後、駐日大使との昼食会(16日)、アイスランド大統領との会見(18日)など、天皇としての公務を続けた。長寿も在位期間も歴代天皇の記録を日々、塗り替えていたとはいえ、数日後に手術を控えた高齢の陛下は、“酷使”されていたように思う。

 そして同19日、浩宮さま(現天皇陛下)が翌月の天皇訪問の先駆けとして夏季国体出席のため沖縄に向かうその朝に、朝日新聞が「天皇陛下、腸のご病気」とスクープした。羽田空港で、沖縄取材をやめて宮内庁に戻る記者もいた。筆者は浩宮さまの南部戦跡視察まで同行して、急ぎ飛行機を乗り継ぎ深夜に帰京し、陛下の病気取材に専念することになる。

 予定通り同22日、宮内庁病院で東大医学部第一外科、森岡恭彦教授の執刀により、腸の通過障害回復手術が2時間半かけて行われた。手術に立ち会った高木侍医長は、すい臓が盛り上がっているのを見て、がんだと分かった。すい臓の一部は約2倍近く、鶏卵大にまで膨れ上がっていたのだ。病気の原因は判明したが、今回は通過障害の改善手術だから、手術内容を変更してがんの部分を切除することはしなかった。

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