ヘロインは「死ぬかも…」だがフェンタニルは「死ぬ!」 “ゾンビタウン”が急増するアメリカで元マトリ部長が目撃した“悪夢のような光景”

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「冷たい七面鳥」

 ヘロインなど「ダウナー(抑制)系麻薬」の依存は、精神依存に加えて身体依存が発現するため、これほど苦しいものはない。薬効が切れてくる、いわゆる“切れ目状態”に陥ると、離脱症状(禁断症状)が現れる。これは悲惨だ。約40年の麻薬取締官生活のなかで、私は何人かのヘロイン使用者(重篤な依存者)と接してきた。個人差はあるものの、彼らはクスリが切れてくると頭から湧き出すような大量の汗をかき、延々と涙を流し、鼻水を垂らし、なぜか時折、大きなあくびをする。身体的な変調はそれにとどまらず、終始、筋肉や骨の痛みを訴えてもがき苦しみ、嘔吐と下痢を繰り返すようになる。その腕に目をやると、皮膚が冷え切って体毛が直立していた――。

 これが「冷たい七面鳥」、いわゆる「cold turkey(コールドターキー)」と呼ばれる状態で、調理される前の毛をむしられた七面鳥の肌にそっくりなのだ。余談になるが、1969年にジョン・レノンが発表した「cold turkey」という楽曲をご存知だろうか。詩を読むと「未来が見えない」「もう死にたい」「禁断症状から逃れられない」「痛みで転げ回る」「お願いだ、もうやめる」「地獄から連れ出してくれ」などと拙訳することができる(勝手ながら……)。

 ヘビメタ調のバリバリのロックだが、聞いているとヘロイン離脱(禁断)症状の苛烈さが痛いほど伝わってくる。とりわけ曲の終盤に響き渡るジョンの絶叫は凄まじい。エリック・クラプトンが弾くギターのリフレインをバックに「アーアーアー」、「ウォー」、「ノーノーノ」、「オーオーオー」と切り裂くような叫び声を挙げ続ける。当時は多くのロックミュージシャンがLSD、マリファナ、ヘロインに手を出していた。ドラッグの使用はヒッピー文化の影響だったと思われるが、具体的な危険性が知れ渡っていなかったのは事実だろう。ジョンもその1人、彼は深みに嵌って行く。だが、彼は見事に立ち直った。そしてヘロイン離脱症状の苦しさ、痛みとの壮絶な闘いを楽曲に託して世に伝えたわけだ。

 話を戻そう。こういった厳しい離脱状態は数日から1週間ほど続く。さらに、苦痛から解放されても身体は衰弱し、生きる気力も失われている。心身が回復し、社会復帰するまでには、長期間の治療とリハビリが必要なることは言うまでもない。これはフェンタニルも全く同じだ。

 そして、史上最悪の“薬禍”は決して対岸の火事ではない。

第2回【トランプ政権を揺るがす「オピオイド危機」…アメリカで年間10万人の命を奪う「史上最悪の麻薬」は日本にも上陸するか?】では、フェンタニルをはじめとする合成オピオイドの正体に迫っている。

瀬戸晴海(せと はるうみ)
元厚生労働省麻薬取締部部長。1956年、福岡県生まれ。明治薬科大学薬学部卒。80年に厚生省麻薬取締官事務所(当時)に採用。九州部長などを歴任し、2014年に関東信越厚生局麻薬取締部部長に就任。18年3月に退官。現在は、国際麻薬情報フォーラムで薬物問題の調査研究に従事している。著書に『マトリ 厚生労働省麻薬取締官』、『スマホで薬物を買う子どもたち』(ともに新潮新書)、『ナルコスの戦後史 ドラッグが繋ぐ金と暴力の世界地図』(講談社+α新書)など。

デイリー新潮編集部

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