ヘロインは「死ぬかも…」だがフェンタニルは「死ぬ!」 “ゾンビタウン”が急増するアメリカで元マトリ部長が目撃した“悪夢のような光景”
「致死量を知っているか?」
「話には聞いていたが、ここまで酷い状況とは…… 」
目を覆いたくなるような現実に私と同僚は愕然としてしまった。最近ではフェンタニルによる死者を減少させようと、NPO団体がナロキソン(※商品名ナルカン=元々は処方薬だったが、フェンタニル対策のため誰でも購入可能なOTC薬に変更されている)を無料配布し、“汚染”地域には専用の自動販売機を設置している。都心部の地下鉄車内では「フェンタニルを使用するな! 注意しろ、色々な薬物にフェンタニルが混入されている! 致死量を知っているか?」「フェンタニル検査紙とナロキソンを無料で提供するので、オーダーしてほしい」といった注意喚起広報が目に飛び込んでくる。
余談になるが、筆者が麻薬取締官としてデビューした1980年代、包丁を片手に立て続けに人々を襲う覚醒剤幻覚男を面前にしたことがある。最近では、危険ドラッグを使用した直後に意味不明の言葉をがなり立て、電柱に自らの頭を何度も打ち付け血だらけになっている男を目撃し、身体が凍りついたことがある。だが、アメリカで目にしたこの光景には、全く異質の慄きを私に与えた。恐怖というよりも、ある種の悲哀を感じ、フェンタニル問題の根深さを目の当たりにしたような記憶が残っている。
では、そもそもオピオイドやフェンタニルとはどんな薬物なのだろうか。少し専門的な話になるが、ぜひ知って頂きたい。
そもそもは“がんの疼痛治療”に欠かせない医薬品
オピオイド(opioid)とは、植物のケシの一種から採取された“あへん(opium)”に含まれるアルカロイドという化合物(モルヒネ、コデイン、テバイン等)や、モルヒネを原料に製造したヘロイン、または化学合成された同様の作用を持つ薬物の総称である。
正確には、あへんを元に製造されたオピオイドは「天然オピオイド」、ヘロインやオキシコドンは「半合成オピオイド(semi-synthetic opioid)」、フェンタニルなどの完全な合成品は「合成オピオイド(synthetic opioid)」に分類される。
効果の強弱はあるものの、モルヒネ、オキシコドン、フェンタニルなどは“がんの疼痛治療”に欠かせない重要な医薬品である。なかでも本稿で解説しているフェンタニルは1960年にベルギーで合成され、1971年に医薬品として承認された速効性を有する強烈な鎮痛・鎮静剤(強オピオイド)で、世界の医療現場で重宝されている。「フェネチルアミン」と「アニリド」という成分を含むのでフェンタニルと命名されたらしい。
フェンタニルの強度(※鎮痛効果の強さ)は、実にモルヒネの約100倍、ヘロインの約50倍(※ヘロインは医薬品として使用されないが)とされる。つまり、鎮痛剤として患者に医薬品モルヒネを1回30ミリグラム投与するところ、フェンタニルの場合は僅か0.3ミリグラムで同じ効果が見込めることになる。
少量の投与で充分な効果があるということは、クスリの代謝によって腎臓や肝臓に与える影響が少ないとの利点に繋がる。その上、フェンタニルは注射、経口のみならず経皮(皮膚)・口腔粘膜でも吸収するため内服・注射・外用薬を製造することができ、総じて優れた麻薬性鎮痛剤と呼べる。
一方で乱用すれば、当然ながらその代償は甚大だ。フェンタニルを乱用すると、ヘロインと同じように身体の温かさを伴うとてつもない快感・幸福感に包まれる。その効果は性的オルガスムスに似たものと言われているが、さほど時間を要さず“やめたくても乱用をやめられず、何よりもフェンタニルを欲する”強烈な依存症に陥る。
[2/3ページ]