【べらぼう】蔦重を甘い罠にかけた 片岡愛之助「鱗形屋」の哀れな最後
蔦重がはめられた罠
蔦重の関わり方が明確ではないため、ドラマで蔦重が引っ掛かった「甘い罠」は創作だが、いかにもありそうな話として描かれていた。
完成した錦絵の完成披露会に、西村屋は同業他社である鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)と鶴屋喜右衛門(風間俊介)を連れてきた。そして、鮮やかな錦絵の出来栄えに、吉原の女郎屋や引手茶屋の親父たちが感嘆して声を上げる前で、西村屋は蔦重に頭を下げた。今後は蔦重には版元から外れてもらい、自分だけを版元にさせてほしいというのである。
補足して詳しく説明したのが鱗形屋と鶴屋だった。地本問屋のあいだには取り決めがあって、仲間うちで認められた者でなければ版元にはなれず、版元になれない蔦重が関わっているかぎり、浮世絵を売り広めることはできない、という話だった。
田沼意次(渡辺謙)の政策として、税を納めさせる代わりに同業者による販売独占を認めた株仲間はよく知られている。鱗形屋らは、地本問屋も株仲間を結成しているので蔦重は入れない、という説明をしたことになるが、このころ地本問屋は株仲間によって守られていなかった。株仲間制度は、学術、宗教などの本を売る書物問屋には適用されていたが、地本問屋には寛政2年(1790)まで適用されていない。
要するに、鱗形屋たちは売れる錦絵の販売を独占するために、蔦重を罠にかけて外したのである。蔦重は「やったのみんなオレじゃねえか!」と怒りを露わにしたが、その声も虚しく響くだけだった。
ありそうなすぐれたフィクション
むろん、蔦重の『雛形若菜初模様』への関わり方がわからないのだから、蔦重がこうして騙されたというのは脚本家の創作である。しかし、なかなか手が込んだすぐれた創作だといえる。
この連作錦絵については、実際、蔦重は初期にしか関わっておらず、あとは西村屋が単独で出版している。また、株仲間は田沼時代の特徴ではあるが、地本問屋にかぎって適用されていなかった。そうした史実をふまえて、いかにもありそうな話を構築しているという点に感心する。
いずれにせよ、自分で発案し、絵師を決め、すべての作業をこなした蔦重を罠にかけて外し、自分たちだけ利益を得ようという鱗形屋孫兵衛が許せない、と思った視聴者は多いのではないだろうか。しかし、安心していただきたい。鱗形屋はまもなく失墜する。
第2回「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』(1月12日放送)では、蔦重は鱗形屋が出版する版元である『吉原細見』の制作に「改め」として関わった。これは年に2回刊行される吉原のガイドブックで、「改め」とは掲載情報を最新のものにするために取材し、得た情報を記事にする役割である。平賀源内に序を書かせるなどの工夫を重ねた結果、評判上々のものに仕上がった。その出来栄えには鱗形屋もご満悦だった。
しかし、版元はあくまでも鱗形屋だから、蔦重は一定の報酬を得るにしても、すぐれた内容を得て売り上げが伸びるのは鱗形屋だった。
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