シーズン3配信日決定「イカゲーム」が世界を熱狂させる理由 「民主主義」と「平等」の欺瞞が浮き彫りに
ゲームの主催者側が多用する「機会の平等」
アメリカのトランプ大統領は就任したその日のうちに、バイデン前大統領が行ってきた「多様性、公平性、包摂性」(DEI)に関する取り組みを「違法で不道徳で差別的なプログラム」「危険で屈辱的で不道徳な人種及び性別に基づく優遇措置」などとして、すべて廃止する大統領令に署名した。さらに翌日21日には、そうした「違法な差別をなくし、実力に基づく機会を回復する」と宣言している。
言葉だけを聞いていると極めて民主的かつまっとうな感じがするのがやっかいなのだが、「イカゲーム」でも似たようなことが起きている。ゲーム主催者がことあるごとに強調するのが「機会の平等」なのだ。
だが「イカゲーム」において、外国人が「韓国の昔遊び」で戦うことや、腕力や知力に頼るゲームで女性や年配者が健常な壮年男性と戦うことは“平等”か。チーム戦において、社会で爪弾きにされがちな人々が仲間として受け入れてさえもらえないのは、不当とは言えないか。自分ではどうにもできないことを「実力の無さ」と判断されることは公正か。どうにもできないことの原因として、世代を超えて引き継がれている階級や貧富の差、ジェンダー、国籍、出身地などによる差別が歴然と存在する社会のあり方や、それらを無視して与えられる「機会の平等」「実力勝負」は果たして本当に“平等”なのか。
そして、そうした理不尽が前提となっている世の中で、限られた道しか選べない人たちの選択は、果たして自由意志による自己決定なのか。「選んだお前が悪い」と言い切れるのか。
「民主主義を妨害するものは許しません」
「◯派(ゲーム継続派)」の一人が呟く「ゲームは怖いけれど、いま外に出たらもっと怖いことがある」という言葉は印象的だ。彼らは必ずしもゲーム継続を望んでいない、ただ選ばざるを得ない状況に追い込まれているのだ。だがそれを主張し抗えば、「民主主義を妨害するものは許しません」と銃を向けられる。
もっと理不尽なのは、そうした弱肉強食の殺し合いが起きているのは「地下」の世界だということだ。完全に安全な場所から見て楽しんでいる天上界の人間がいる。地下の人間にはそのシステム全体のありようが見えていない。
世界中で格差が広がる今の時代、その原因と言われる新自由主義的な価値観を「イカゲーム」は痛烈に批判する。かつて会社都合の整理解雇の末に始まった流血の労働争議(2009年の数十名の死者を出した双竜自動車の籠城闘争であることがほのめかされている)を経験している主人公ソン・ギフンは、勝者の裏にあった455人の“生身の死”を目の当たりにしたシーズン1を経て、シーズン2ではこのゲームを終わらせることを決意する。
そのためには「当たり前」のように押し付けられているルールを拒絶し、それを支えるシステムを破壊することだ。始まったギフンの戦いがどのような結末を迎えるのか。希望と絶望を携えながら、シーズン3が描く結末を待ちたい。
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