シーズン3配信日決定「イカゲーム」が世界を熱狂させる理由 「民主主義」と「平等」の欺瞞が浮き彫りに

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「相手の得」は「自分の損」というゼロサムゲーム

「イカゲーム」シーズン2では、そうした分断をより深めるルールがふたつ追加される。「中止の場合、賞金は残った参加者で山分け」と「ゲームが一つ終わるたびに続行か中止かの投票、参加者の過半数で中止」というものだ。

 ゲームは「勝負を決めて、賞金は勝者の総取り」というルールで進む。つまりゲームに勝つためには、誰かを蹴落とし敗者にする必要がある「ゼロサムゲーム」――誰かの得(+1)が誰かの損(-1)になり、常に総和(SUM)がゼロになる――である。ゲームが終わるたびに頭上の「貯金箱」に「脱落者(死者)数×一億ウォン」の札束が落ちる様子は、まさに「敗者の損」が「勝者の得」になる瞬間を可視化したものだ。

 シーズン1では、もし参加者の申し出による投票でゲームが中断された場合、この賞金は脱落者の遺族に渡るというルールだった(つまり賞金を手にできるのは最終的な勝者のみ)。だがシーズン2では、もし中止になれば、その時点の賞金は生き延びた参加者で山分けとなる。ここに「ゲームがひとつ終わるごとに投票する」というもうひとつの新ルールが効いてくる。

 参加者たちは、ご丁寧に電光掲示板に表示される「一人あたりの賞金額」を眺め、「もう少し脱落者(つまり死者)が増えないと、欲しい金額に届かない」などと皮算用しながら、ゲーム続行or中断の投票をする。投票後は、自分がどちらに投票したかを明示するワッペンを胸につけることで、参加者たちは「続行派(◯)」「中止派(×)」をわかりやすく意識し始める。そして「アイツらがいるから自分が割りを食う」と敵対し始めるのだ。

「制服」と「番号」が促進する「敵の死」への加担

 ここに「制服」と「番号」による別の効果が加わる。名前と個性(つまり個人であること)を奪われた参加者たちにとって、他の参加者は「番号」とか「コマ」のような存在 で、自分と同じ「生身の人間」として認識することが難しい。

 それにより、ただでさえ「死」が日常化する閉鎖空間の中で、さらに参加者たちが積極的に「敵の死」に加担する余地が生まれる。賞金増加=死者増加を望む「◯派」はゲーム以外で人々を襲うことを考えるようになり、それに恐怖を覚える「×派」は「先制攻撃」を考えるようになっていく。

「ゲームである限りすべてが“ゼロサム”なのでは?」と考える人もいるかもしれない。だがシーズン2の第四話「6本の脚」で、爪弾きにされた弱者たちのチームの戦いを参加者が一丸となって応援する様子を見れば、必ずしもそうではないことがわかるだろう。「誰かの勝利=自分の敗北」とはならないゲームにおいて、「誰かの勝利」を妬んだり、「誰かの敗北」を願ったり(もしくは画策)するような人間は、それほど多くはないのだ。

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