「毎月120万円」の高額治療を可能にしたのは、「大暴落」前の全株売却だった…森永卓郎さん死去 本人が明かしていた“前向きながんとの向き合い方”

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 1月28日、経済アナリストの森永卓郎さんが、原発不明がんのために死去した。享年67。森永さんは一昨年、がんで余命4ヶ月を宣告されて以後も、新聞、テレビ、雑誌などさまざまなメディアで精力的に活動し続けた。今年の頭には、「デイリー新潮」に、その闘病生活について手記を寄せている。ご本人が明かした壮絶な「モリタク流」がんとの闘い方を、改めて振り返ってみよう。

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 森永さんは1957年、東京生まれ。東京大学経済学部を卒業後、日本専売公社(現・JT)に入社、経済企画庁などに出向した。退社し、経済関係の研究所に勤務した後、フリーの経済アナリストとなる。わかりやすい解説と、柔和なキャラクターで「モリタク」の愛称で親しまれた。また、それとは対照的な、歯に衣着せぬ政府・与党批判も魅力の一つだった。

 そんな森永さんをがんの魔の手が襲ったのは、2023年のこと。ご本人は手記でこう振り返っている。

「“来年の桜は見られないかもしれませんよ”――。医師から余命4ヵ月の宣告を受けたのは、2023年11月のことだった。私(森永さん)は、にわかには信じられなかった。体調はすこぶるよかったし、腫瘍マーカーの数字も正常値だった。PET検査という検査も受けた。光ったのは胃とすい臓だけだった」

 そこで、森永さんは胃の生体検査と、超音波内視鏡の検査をした。しかし、胃もすい臓からも、がんは見つからなかったという。しかし、肝動脈の周囲を取り囲む組織を取って検査をすると、転移したと見られる腺がんが検出された。がんを患っていること自体は間違いなかった。

「医師の判断は、“原発(転移のもとの臓器)は、すい臓だろう”というものだった。徹底的な検査をしたから胃がんの可能性はない。すい臓に関しては、そこまで詳しい検査をしていないから、すい臓のどこかにがんが隠れているはず。すでに転移をしているのだから、ステージ4で、一般的にはあと4ヵ月ほどしか命は持たない。医師はそう判断したのだ」

 それでも納得できなかった森永さんは、がん診断の名医と言われる医師2人にセカンドオピニオン、サードオピニオンを聞いた。しかし、2人とも、診断は前出の医師とまったく同じだったという。

三途の川がはっきり見えた

 そこで森永さんは、近所の病院でアブラキサンとゲムシタビンという、すい臓ガン向きの抗がん剤を点滴で投与してみた。しかし、

「当日は何も起きなかったが、翌日私の体調は激変した。何も食べられない、水分も取れない、立っていることも、考えることもできなくなってしまったのだ。この時は、三途の川がはっきりと見えた。残り数日の命だと思った」

 都内のクリニックで点滴投与を受け、一命をとりとめた森永さん。2週間病院に入院し、別のクリニックで「血液パネル検査」を受けたところ、すい臓がんではなかったことが判明。医師の診断は「原発不明がん」に変わった。しかし、その診断により、森永さんはむしろ厳しい選択を迫られることになった。どこに「原発」のがんがあるのか分からないから、手術や放射線治療は出来ない。抗がん剤も、がんの種類によって異なるから、何を使えばよいか分からない。抗がん剤も使えないのだ。

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