「堺」の姓を継いだ次女… 堺正章が明かす「心臓がキュッとした」大物俳優から聞かされた「娘の評判」

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人生で一番変な汗をかいたテレビでの「親子共演」

「今まで僕は、できる限りひとつのことを貫く精神で頑張ってきた。だから小春も簡単にやめるなよ」

 父も、僕のデビュー時には同じようなことを口にした。思えば僕は、幼い頃から父の仕事場についていき、その空気を吸うのが僕のエネルギーになっていった。それと同じように僕も、小春を子どもの頃から音合わせの現場に連れていったりしていたから、そういう現場の空気感が彼女を目覚めさせたのかもしれない。小春は自分でオーディションを探して受け、所属する事務所を見つけてきた。

 小春が小学校低学年のときはこんなこともあった。僕が名古屋の中日劇場で一ヶ月にわたって舞台をしていた頃、彼女はたったひとりで新幹線に乗って舞台を観に来た。舞台の袖で幼い子どもがひとり座って観劇している姿は、僕自身の幼い頃とダブって見えた。しばらくして彼女が帰っていったときは、無性に寂しく感じたのを覚えている。

 小春と初共演したのは、彼女が出演したHuluオリジナルドラマ「THE LIMIT」の番宣で、日本テレビ系列のバラエティ番組「世界一受けたい授業」に小春がゲスト出演したときのことだ。あんなに緊張して変な汗をかいたことは、後にも先にも一度もなかった。

 身内をイジって笑いを取るのは、照れ臭さもあるし、いろんな感情がまぜこぜになるので難しかったが、もう開き直って、有頂天になったまま全力でほめちぎってやった。僕の子育てのテーマは、子どもたちが小さかった頃から「ほめて伸ばす」だったのだから、それでいいじゃないかと思った。

 思いもかけず小春が三代目を継いでくれたことで、亡き父の演技に対する純粋な思いや情熱、父ならではの立ち居振る舞いを、新しいこの令和の時代にまで伝えていけるような気がした。そんな小春を見ながら、「僕の子育ての役目は大方終わったな」と肩の荷が降りた気がした。きっと父も、空の上で喜んでいるはずだ。小春には、俳優という仕事を身体中で 楽しみながら頑張ってほしいと思っている。

 小春にせよ、アーティストをやっている長女の菊乃にせよ、ふたりとも好きなことを仕事に選び、ふたりともつい先ごろ結婚した。子どもたちが成長し、幸せな気持ちを携えて、何者かになっていく。これこそ、いい人生だ。そこに至るまで、娘たちをまっすぐに育ててくれたことについて、別れた妻には感謝している。

 父の時代から数えると、栗原家は芸道をかれこれ100年続けていることになる。 その100年の中に、さまざまな思いや経験が溶け込んでいる。素晴らしきかな。

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 この記事の前編では同じく、『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(飛鳥新社)より、堺正章さんが大河ドラマ「麒麟がくる」で演じた役に、22歳で亡くした父・堺駿二を重ねた理由について取り上げている。

『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(堺正章著、飛鳥新社)

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【著者の紹介】
堺正章(さかい・まさあき)
歌手、俳優、司会者とさまざまな分野で活躍し、幅広い世代から愛される国民的エンターテイナー。16歳でザ・スパイダースに加入し、’65年「フリフリ」でデビュー。’71年の解散後、ソロ活動に転向し、同年「さらば恋人」で日本レコード大賞大衆賞を受賞した。俳優としては「時間ですよ」「西遊記」「ちゅらさん」など多数のテレビドラマに出演、司会者としても高い人気を博している。

デイリー新潮編集部

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