「堺正章」が大河ドラマ出演時に役のモデルにした知られざる“意外な人物” 芸歴70年の初著書で語った家族への想い
18歳で母を亡くし、22歳では父を亡くした
父はかつて僕にこう言った。
「お前にはとくに何も言わないよ。時代が違うからね」
細かいことを逐一指南してくれる父ではなかったけれど、その背中からは、どう生きるべきかなど、さまざまな無言の教えがあふれ出ていた。芝居に対する父のまっすぐな思いは、役者として地位を築くまで、苦労して努力し続けた足跡を見ても明らかだ。謙虚で律儀で、ひたむきに演劇を愛し、笑いを大切にしていた。その場にいる同業者やスタッフ、観客や視聴者の皆さんを温かい気持ちにさせるような、笑顔の清らかな人だった。
そんな父は、僕が16歳でザ・スパイダースのメンバーとしてデビューし、忙しくしていた22歳のある日、舞台上で突然亡くなった。54歳だった。その日、僕は地方でライブがあって、結局、死に目に会えなかった。その4年前に母が亡くなったときは、もうこの世の終わりかと思うほど泣いた。寂しくて哀しくて、胸が痛くて、その死を受け止め切れず、涙が止まらなかった。生涯であれほど泣いたことはない。
ところが父が亡くなったときは、哀しくて寂しくてたまらない一方で、不思議なことに一滴も涙が出なかった。そのときは、自分は非情なのではないかと苦々しく思った。でも今思えば、父の亡骸を目にしたあのときは、これからは僕がこの家を継いでいくのだと強く決意した瞬間だったのだろう。だから哀しさよりも、むしろ燃えたぎるなにかを感じる気持ちの方が強かった。
そうして自分を奮い立たせる必要があったから、泣いている場合ではなかったのだ。その日を境に僕は、人生と真剣に向き合い始めた。そして僕は変わった。
「今の僕はどんなふうに見えていますか?」
と父に尋ねてみたい。父とは一緒に酒を飲んだことが一度もない。ゆっくり大人の会話をしたこともない。大人の僕を見てもらえていないのだ。そういう意味で、父への僕の思いは不完全燃焼に留まっている。
望月東庵という役には、そんな思いをひっそりと盛り込んでいた。演じている時間は、父と一緒にいるようで尊いものに感じられた。役者に限らず、どんな人も、人生の中で大事な場面に直面するときがあるだろう。そこで自分の存在感を示すにはどうすればいいのか。
自分が今、どんな思いを抱えてそこにいるのか、どんな自分としてそこにいたいのかを明確に頭で感じているかどうかが肝要なのではないかと思う。
目指すべきテーマを自分のポケットにしのばせているかどうかも問われるだろう。きっとそれが、その人の“存在感”というものにつながっていくんじゃないだろうか。
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この記事の後編では、引き続き『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(飛鳥新社)より、堺正章さんの次女・小春さんが「堺」の姓を継いだ際に感じた「特別な想い」について取り上げている。