昭和100年で振り返る受難続きの高速鉄道 財界が熱望した電気鉄道・弾丸列車から東海道新幹線・リニアまで
戦前期の弾丸列車と弾丸道路
弾丸列車は国民を熱狂させるほどの高速鉄道計画だったが、他方で別の関係者たちは弾丸道路の計画を進めていた。弾丸道路は現在で言うところの高速道路にあたり、こちらを推進していた関係者たちは「鉄道は時代遅れの移動手段で、今後は自動車の時代になるから弾丸道路を建設するべき」と主張していた。
戦前期に鉄道を斜陽と見る向きがあったことは興味深いが、弾丸道路も同様に戦局が悪化したことで計画は凍結されている。
戦後、鉄道よりも自動車を重視した財界人が多かったことから、弾丸列車よりも弾丸道路が優勢になったものの、そうした声をはねのけて1964年に東海道新幹線が実現。明治期から構想されてきた高速鉄道が、ようやく日の目を見た。
東海道新幹線が開業し、1975年に山陽新幹線が博多駅まで全通。その後も新幹線はネットワークを拡大させていく。東海道新幹線の成功によって高速鉄道の有用性は誰もが認めるところになった。各地から新幹線を望む声は強まる一方だったが、それでも高速鉄道の受難は隠然と続く。
高速鉄道の受難
現在にも続く高速鉄道の受難とは、言うまでもなくJR東海が東京―大阪間で建設を進める中央リニア新幹線のことだ。当初、リニアの開業計画が2027年に定められていたので、本来なら、あと2年でリニアは開業している予定だった。ところが、静岡県の川勝平太知事(当時)が南アルプスの工事を認めず、工事は停滞を余儀なくされた。
2024年に川勝知事が退任したことで工事は進むかのように思われたが、同時期に岐阜県瑞浪市でリニア工事に伴う水枯れと地盤沈下が発覚。瑞浪市の一件が引き金となり、東京都町田市をはじめ各地でも水源の枯渇や地盤沈下といった問題が表面化した。また、静岡以外でも工事の遅れが判明している。
鉄道を整備する意義は、なによりも速く移動できるという時間短縮にある。その時間短縮効果を最大限に発揮できるのが高速鉄道ということになるが、繰り返し問題に直面してプロジェクトが容易に進展しないのは、鉄道といえども「過ぎたるは及ばざるが如し」ということを実感させられる。
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