「アトリエが僕のマイホーム」 横尾忠則が“創造と生活の拠点”で過ごす日々

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 人生に大きい悩みはないが、この連載(週刊新潮掲載「曖昧礼讃ときどきドンマイ」)のテーマが一向に思い付かない。それが目下の悩みかな。担当編集者に「何かアイデアは?」とリクエストしてもなしのつぶてで、自分で考えなさい、と言われているようだ。こういう時は、その日のことを書いて下さいと言われるに決まっている。

 今日は朝から雨が降っているのでアトリエへは自転車ではなく徒歩で向かうが、頭のてっぺんから足の先きまで冬仕度で、ハンチング帽に長靴。たっぷり着込んで、ダウンジャケットにマフラー。魚河岸人夫か工員か、百姓か、何を職業にしている人間かわかりません。それでも道で会う誰だか知らない人から挨拶をされたので、やっぱり画家に見えたのかな。

 わが家からアトリエまでは何通りもの道がある。いつもは大江健三郎さんの家の前から石原裕次郎さん、田村正和さんの家のコースで行くが、もう、この人達と道で会うこともありません。淋しいことです。

 今日は雨降りなので、車が一台も通らない画家の絹谷幸二さんの家の前から、途中で右折して、車が全く通らない裏道をコースに選びました。この通りに建つ家はどこも一軒が非常に大きく、立派な門がまえの洒落た洋館が並んでいます。

 僕は若い頃、いつか将来このような館風の家に住みたいと夢のまた夢のようなことを空想していましたが、とうとう今日までマイホームを建てることができませんでした。でも終日閉じ籠っているアトリエができただけで満足しています。アトリエはだだっ広い一室で地下は物置きになっていますが、一般の家のような生活空間ではありません。

 上京後、最初に住んだのは元東急デパートの左脇きの坂を登った栄通りの途中の小さい六畳一間のアパートで、その後、池尻でやはり一間のアパート、次が祖師谷(そしがや)の野原に囲まれたここは二間の小さい一軒家で、その次は隣町の成城学園で今度は三間の以前外国人が住んでいたという平家ですが、長男、長女を加えた4人家族となり、ちょっと狭いので、もう少し広い所をといってやはり成城内の2階建ての家に引っ越しました。

 この頃から、少し経済的に豊かになりつつあったのですが、マイホームを建てるほどの余裕はなかったように思います。そんな時、妻が成城内でも目立った存在の古いお屋敷を見つけてきました。多分、妻は将来住むならこんな家という彼女が最も理想とする家を見つけてきたのです。でも、この家は歯医者が住んで営業していたのですが、この家の大家さんを見つけて、もしこの家が空いたら貸してもらえないかと交渉したらしいのです。

 と、偶然というか奇蹟的にこの歯医者が、他に家を建てて移ったために、思いもよらず妻の思い通りになって、このお屋敷に住めることが決まったのです。この家は以前作曲家の山田耕筰さんも住んでおられました。大きい家に住むことになったのですが、わが家とはいえない借家です。

 この家に住むことになったために、とうとうマイホームを建てる夢の実現はなくなってしまいましたが、妻は昔から夢見ていた家だったので、もし一生借りられるなら、この家でもええか、と思いました。

 この頃、僕はグラフィックデザイナーから突然画家に転向してしまったのですが、アトリエがありません。そこでマイホームではなく、アトリエを近所に作ることになったのです。アトリエは僕にとっては創造と生活の拠点になり、年中、このアトリエで過ごしているので、新しいマイホームは必要なくなったのです。

 こんな過去の出来事を想い出しながら、洒落た西洋建築が建ち並ぶ通りをキョロキョロ眺めてアトリエに向かっていると、本当は僕もこのような自分の想像した家を建てて、住んでみたかったなあという気になりました。今日は雨の中、こんなことを考えながら歩いていたのです。

 でも今の家は妻の希望でもあり、僕へのプレゼントでもあると思っています。というのは彼女は僕が快適に画家生活が送れることをいつも念頭において行動してくれているからです。僕の性格の一部には受身的なところがあって、この性格が僕の運命を形成していると考えているのですが、自分の自力は他力と一体化することを理想としています。その結果、なるようになるのではと考えています。

 長靴を履いてドタドタ音を立てながら、この静かな白い洋館の建ち並ぶ通りを抜けるとアトリエが近づいてきます。このアトリエは磯崎新さんのデザインの建築で、非常に快適です。結局このアトリエが僕にとってのマイホームなんだと思います。もし、このアトリエがなければ今までの作品もなかったと思います。考えてみればアトリエとはガラッと雰囲気の異なるわが家は僕が生まれたのとほぼ同年に建てられたアイルランドの農家を模した建物で、都内でも珍らしい、他にあるかないかの建築様式の建物です。この古い家と、最も新しい様式のアトリエの2つで生活するのは、もしかしたら奇蹟かも知れません。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年1月30日号掲載

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