「東京は合わない。地元がいいべ」と語った中居正広氏はなぜ芸能界の“あしき風習”に染まったのか 「売れっ子になってからも頻繁に仲間と飲むために帰ってきていた」

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場所代3万円の高級雀荘に入り浸り

 事実、中居氏は一時期、東京・六本木の高級雀荘に身内と入り浸っていた。

「場所代は基本的に1回約3万円。個室もあったけど、中居はフロアで麻雀を打っていました。いつも父親が一緒で、ほかにはテレビ局の人間もいたかな。当たり前ですが、その雀荘で賭けてない人間は一人もいません」(芸能関係者)

 他方、仕事面は上り調子が続いた。芸能デスクの話。

「中居は97年に25歳の若さでNHK紅白歌合戦の白組司会に抜てきされて以降、紅白では6度、司会を担当しています。数々のレギュラーMC番組に加えて、TBSの五輪中継でメインキャスターを務めるなど、活躍は各方面に及びました」

コウモリのような振る舞い

 2015年から16年にかけて、旧ジャニーズの経営陣と元女性マネージャーの確執を契機に、SMAP独立・分裂騒動が勃発。最終的にSMAPは16年の大みそかをもって解散し、翌年9月、香取慎吾(48)、稲垣吾郎(51)、草なぎ剛(50)の3名が旧ジャニーズ事務所を退所する事態となったが、

「木村が旧ジャニーズの経営陣側に立つ立場を鮮明にして、一部のファンから“裏切者”の誹りを受けた一方、中居はコウモリのように振る舞いました。退所組のように地上波から干されぬよう、旧ジャニーズ事務所に身を置きながら、解散から4年後の20年に独立。結果として、メンバーの中で唯一、解散によって傷を負いませんでした」(前出のデスク)

芸能界の“あしき風習”に染まり……

 こうして民放テレビ各局でレギュラーMC番組5本を維持。スターの座を確たるものにした男は、“東京合わねえんだ”と呟いていた頃から、すっかり変貌を遂げてしまい、

「フジの編成幹部や大物芸人、各局の女子アナらを交えて、都内の高級ホテルで宴を開くようになったのです」(前出の芸能関係者)

 完全に芸能界の“あしき風習”に染まってしまったというのである。

 しかし、遊び仲間はいても、危機に瀕して、周囲に相談できるまともな人材がいなかった。これまで中居氏におもねっていた各局のテレビマンたちですら、

「事態が進展するにつれて、彼が内々に当初匂わせていた“男女間のトラブル”だとの説明には無理があると判断せざるを得なくなり離れていった。フジのスポンサー撤退騒動の責任も問われる身であり、もはや、自ら芸能活動に終止符を打つほかありませんでした」(同)

 後味の悪さだけが残る引退劇となったのである。

週刊新潮 2025年2月6日号掲載

特集「後味の悪さだけが残る引退劇 52歳『中居正広』の歪んだ人生」より

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