「東京は合わない。地元がいいべ」と語った中居正広氏はなぜ芸能界の“あしき風習”に染まったのか 「売れっ子になってからも頻繁に仲間と飲むために帰ってきていた」
トラブルについて何の説明もなく、突然の引退表明――。後味の悪さだけを残した中居正広氏(52)は、いま何を思う。東京の水になじめないと言っていた青年は、いかにして国民的スターに上り詰め、芸能界の悪しき風習に染まったのか。ゆがんだ彼の人生を振り返る。
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中居正広氏の引退宣言は唐突かつ一方的なものだった。1月23日、〈私、中居正広は本日をもって芸能活動を引退いたします〉などと、自身のファンクラブサイトで発表。〈こんなお別れで、本当に、本当に、ごめんなさい。さようなら…〉と別れを告げたのだが、全体で約450字を費やしただけ。記者会見すら開かなかった。
SMAPが結成されたのは1988年のこと。木村拓哉(52)とは同学年ながら、3カ月ほど早く生まれた中居氏が最年長としてグループのリーダーに就任した。
『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の著書がある霜田明寛氏が語る。
「SMAPが結成された80年代末、歌番組の人気は下降線をたどっていました。メジャーで売れるためにはバラエティー番組に進出するしかなかったのですが、中居さんの“トーク力”に注目したのがジャニー喜多川氏(故人・旧ジャニーズ事務所創業者)でした。おとなしかった中居の喋りの才能を見いだし、光GENJIのライブの前説で喋る機会を与えるなど、司会として育てようとしたのです」
売れっ子になってからも地元の仲間と飲み会
94年、タモリ(79)の「笑っていいとも!」(フジテレビ系)にレギュラーで出演し始めるが、
「当時、芋焼酎の水割りを飲みながら“タモさんはすごい”と、何度も力説していたのを覚えています」
とは、中居氏の地元・神奈川県藤沢市の知人だ。中居氏はすでに売れっ子であったにもかかわらず自分で愛車のシーマを運転して、頻繁に郷里に顔を出していたといい、
「気の置けない仲間と朝の3時ごろまで飲んで、友人の店の個室で仮眠を取って翌朝に帰っていました」(同)
この知人が中居氏及び「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の制作会社のスタッフと一緒に飲んだ時のことだ。
「彼はスタッフから“殿”と呼ばれて、持ち上げられていましたね。ただ、本人に偉ぶる様子はなかったですよ。ツレと飲んでいたって、例えばカラオケで『SHAKE』を歌ってよとリクエストしたら快く歌ってくれました。酒もおごってくれたし」(同)
“東京合わねえんだよなあ。地元がいいべ”
今回の女性トラブルは、フジテレビ社員が接待の一環として、中居氏に女性を紹介したことがきっかけだとされている。だが、30年前の彼は周囲からこびへつらわれても、おごった様子は見せなかったというのだ。
「彼の口から、都心のホテルで女性をはべらせているなんて聞いたことはない。むしろ、“俺、東京合わねえんだよなあ。やっぱ、地元がいいべ”としみじみ呟いていましたね」(前出の知人)
別の知人もこう言う。
「自分の知っている中居さんは、麻雀とゴルフだけが趣味の人間。派手にオンナ遊びをするようなタイプではなかったのですが……」
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