芸能界引退「中居正広」が手に入れられなかったもの…旧ジャニーズ「リーダー」と「センター」の違い

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MCとしての能力を発揮

 SMAPは結成後3年を経て1991年9月9日、シングル「Can' t Stop!! -LOVING-」でメジャーデビューを果たしたが、当初は鳴かず飛ばず。ジャニー氏がサジを投げたところ、当時、事務職員だった飯島三智氏(66)がマネジャーに就任。旧ジャニーズ勢が未開拓だったバラエティー番組への出演など、アイドルとしての新路線を開拓して徐々に売れ始める。同じころ、中居のあこがれだった諸星の周辺は慌ただしかった。

「徐々に光GENJIIの勢いは衰え、やがてメンバーも減り、95年9月に解散しました。もともとソロ活動もしていた諸星さんは解散のタイミングで旧ジャニーズを退所しましたが、大手芸能事務所のバックアップを得て個人事務所を設立。歌手、俳優、タレントとしてマルチに活動し、米・ニューヨークでの生活も経験し、20年8月にはハワイ在住であることを公表しています。収入に恵まれているとは思えませんが、自分の好きことをやりながら、自由奔放に生きています」(先の芸能記者)

 さらに、トップアイドルにもかかわらず、女性関係も奔放だった。後に、本人や当時を知る芸能人から数々の武勇伝が暴露されているが、人気アイドルグループのおニャン子クラブには、会員番号が20~30番辺りにターゲットをしぼって口説いたり、松田聖子(62)や中森明菜(59)までナンパしていたりしたことが暴露されている。

「05年に亡くなった本田美奈子.さんとは15年にわたる大恋愛でした。諸星さんは事務所に結婚を直訴したほどでしたが、当時は認められるはずがありません。諸星さんは多忙な合間を縫って女性と遊ぶことにより、うまく息抜きしてストレスを溜め込むことはなかったようで、バランス感覚が絶妙だった」(同前)

 SMAPは後にチーフマネジャーとして全権を掌握した飯島氏が考案した戦略に基づいて敷いた“レール”に乗り、事務所の看板を背負う存在に成長する。同時にメンバーたちはソロでの俳優業に挑戦することになったが、木村は93年のフジテレビ系月9ドラマ「あすなろ白書」、94年の同局系「若者のすべて」、そして96年に主演した月9ドラマ「ロングバケーション」以降、主演ドラマがことごとく高視聴率を記録。続々とCMのオファーが舞い込み、SMAPの中でも飛び抜けた存在となった。

 一方、中居は94年にフジの長寿バラエティー番組「笑っていいとも!」の曜日レギュラーに就任。95年には人気コミックを実写ドラマ化したテレビ朝日系の「味いちもんめ」で連続ドラマ初主演を務め、同年スタートの報道番組「サンデージャングル」で初のキャスターを務めた。その後、96年にフジでSMAPの冠番組「SMAP×SMAP(スマスマ)」がスタートし、97年には「第48回NHK紅白歌合戦」で初の司会に抜擢されるなど、売れに売れたが、初のキャスター挑戦時はスタッフからの“嫌がらせ”を受けていたという。

「中居さんは漢字が苦手だったので、『サンデージャングル』では、あらかじめ台本にスタッフがふりがなを振っていました。ところが、スタッフの中には中居さんを気に入らない人もいて、『鮑(あわび)の刺身』を『鞄(かばん)の中身』と読み間違えさせたのは有名な話です。今回の騒動を巡る報道の中で、中居さんが女子アナに時事ネタなどを頻繁にチェックしていることを誇らしげに話しているとの記事がありましたが、悔しくて独自に勉強を重ねたのでしょう」(当時のテレ朝の番組スタッフ)

 そんな努力が、五輪キャスターや大好きな野球の世界一決定戦・WBCのキャスターなどにつながることになる。

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