芸能界引退「中居正広」が手に入れられなかったもの…旧ジャニーズ「リーダー」と「センター」の違い

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夢は巨人軍の選手

 芸能界を引退。個人事務所である「(株)のんびりなかい」もやがて廃業。「元タレント」になった中居正広氏(52)は今、何を思うのだろうか――。

 自身の女性トラブルにフジテレビの幹部局員が関与していたのではないかと報じられていた問題で1月28日、昨年末に局員の関与を報じた「週刊文春」(文藝春秋刊)が記事を訂正した。フジテレビの見解が正しかったようだが、27日に行われたフジテレビの会見では、中居氏と当該女性の行為について「認識の違い」があったことが明かされた。

「フジテレビ幹部だけでなく、中居さんも第三者委員会から事情聴取を受け、なぜ、被害女性との認識の違いが生じたのか、厳しく追及されることになると思います」(会見に出席した記者)

 スーパーアイドルから番組MCへと、安定した芸能活動を送っていた中居氏。本人もHPで記していたが、このような形で表舞台から去ることは考えてもいなかったに違いない。

 中居氏は2016年に解散したSMAPのリーダーとしてグループをまとめあげた。解散後はMCとして活躍し、20年3月いっぱいでデビュー以来所属していた旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)を退所し、個人事務所「(株)のんびりなかい」を設立した。

「国民的アイドルグループのリーダーという重責を長年にわたって担い、その後は人気MCとして活動していく中で、計り知れないストレスを抱えていたと思います。もし、中居さんが旧ジャニーズ時代にあこがれていた先輩のような“自由のある生活”を手に入れていたらと、今になって思います」(ベテラン芸能記者)

 神奈川県藤沢市出身で、3人兄弟の末っ子である中居氏は、小学生の頃から野球に打ち込み、自身も大ファンだった巨人軍のプロ野球選手になることを目指していたが、ケガで断念した。

 中学2年生の86年、同級生がジャニーズJr.(現ジュニア)だったことに影響を受け、何人かの友達と一緒に旧ジャニーズ事務所に履歴書を送ったところ、唯一、返事が届いたのが中居氏だった。当時、事務所の看板を背負っていたのは85年にデビューした、東山紀之(58)ら、3人組の少年隊だった。

 しかし、中居氏があこがれたのは87年にデビューし、大人気となった7人組、光GENJIの中心(センター)メンバーだった。

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