ソフトバンクの「上沢直之」獲得は“金満球団の横暴”か…「ルール上は問題ない」けれど専門家は「契約で防止する必要性」も指摘

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 ソフトバンクの“横暴”は目に余る──。こんな憤りを覚えている野球ファンは少なくない。昨年の12月26日、ソフトバンクに入団が決まった上沢直之投手(30)は会見を開き、「リーグ優勝や日本一を目指すチームの戦力になれるように頑張りたい」と意欲を見せた。しかし“古巣”の日ハムファンだけでなく他球団のファンも移籍に違和感を覚え、SNSに不満の声を投稿している。

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 上沢は千葉県松戸市出身。専修大学松戸高校に進学すると、2年生でエースとなった。3年春の県大会では好投を続けてチームの準優勝に貢献したが、夏の大会では4回戦で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。

 2011年10月のドラフト会議では日ハムが6位で指名。14年に1軍デビューすると22試合に先発して8勝8敗という成績を残した。

 現時点で、12勝6敗だった21年のシーズンが勝ち星のキャリアハイだ。最高年俸は8勝9敗だった22年シーズンで、オフに1億7000万円で契約を更改した。その際、上沢はフロントに翌23年オフにポスティングシステムを利用したメジャーリーグ(MLB)挑戦を希望した。

 一部の首脳陣は反対したとも報道されたが、球団は応援を決める。23年11月にポスティングの申請が行われた結果、24年1月にレイズとマイナー契約を締結。だが、春のキャンプを経てオープン戦に登板するも、0勝1敗、防御率13・03と成績は振るわなかった。開幕からのメジャー入りはかなわず、上沢はオプトアウト(契約破棄条項)を行使した。

 3月27日にレッドソックスへ金銭トレードで移籍するが、やはりメジャー入りを逃し、開幕をマイナーリーグで迎える。

鍵谷投手の引退セレモニーに出演

 4月にメジャー昇格を果たしたが、5月に再びマイナー落ち。7月以降はマイナーでも登板機会が与えられず、11月にFAとなった。担当記者が言う。

「昨年の9月17日に上沢投手は帰国しました。すると25日、エスコンフィールドで行われた鍵谷陽平投手の引退セレモニーにサプライズ出演したのです。さらに許可を得て日ハムの球団施設でトレーニングを続けていました。こうしたことから、日ハムファンは上沢投手が帰ってきてくれると信じていたのです。ところが12月23日、スポーツ報知が『ソフトバンクが上沢直之の獲得調査』と報じ(註1)、予想もしていなかった意外な展開に多くのプロ野球ファンが驚きました」

 16日から17日にかけて報知、日刊スポーツ、朝日、産経などの各紙が「上沢はソフトバンクへ」との記事を掲載。すると18日にソフトバンクが獲得を発表した。日刊スポーツは「4年約10億円プラス出来高」で交渉がまとまったと報じた。(註2)

 プロ野球ファンが違和感を覚えた理由はいくつかある。まずは投手の有原航平(32)も極めて似た経緯でソフトバンクに入団したことが挙げられるだろう。

和田毅氏との違い

「有原投手は2014年10月のドラフト会議で日ハムの1位指名で入団しました。19年には15勝8敗と活躍し、20年オフにポスティングの申請が行われます。レンジャースが獲得し、21年にMLBデビューを果たしますが、2勝4敗と低迷して9月にマイナー契約となりました。22年のシーズンも不振でFAが決まると、ソフトバンクが獲得してしまったのです」(同・記者)

 これでは“迂回融資”のようだと言われても仕方ないだろう。実際、有原の移籍は“有原式FA”と揶揄された。上沢に至っては1年しかアメリカでプレーしていない。

 2022年12月、上沢はメジャー挑戦の希望を球団に伝えた。その際に「1年勝負してダメだったら、スパッと諦めようと思っている」と明言し、複数のスポーツ紙や北海道新聞が記事で報じたのは事実だ。しかしながら「1年勝負してダメだったら、スパッとソフトバンクへ移籍する」となると話は別だ。有原と上沢の入団経緯を、それこそソフトバンクの投手だった和田毅氏と比較してみよう。

 和田氏は2002年のドラフト会議で当時のダイエーが自由枠で獲得。2011年に海外FAの権利を得て行使すると、オリオールズに入団する。だが12年のシーズンはケガで棒に振り、13年は大半をマイナーで過ごす。

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