「掛布雅之」選出でも、「江川卓」はなぜ野球殿堂に入れない? “野球ムラ”から嫌われた半生を、「空白の一日」を取材したベテラン記者が読み解く
新人王でもわずか1票
ヒールとなって巨人に入団した江川のルーキーイヤーは、9勝10敗に終わった。
この年の新人王レースは、13勝5敗の中日・藤沢公也投手が有力視されていた。他にも、同じく中日の小松辰雄投手(6勝9敗16セーブ)、大洋の遠藤一彦投手(12勝12敗)など豊作の年だったが、江川の成績もルーキーとしては恥ずかしいものではなかった。記者投票の結果、114票を獲得して新人王に選ばれたのは藤沢。江川に入ったのはたった1票で、遠藤(80票)、小松(7票)の後塵を拝し、広島・山根和夫投手(8勝4敗)の2票より下だった。新人王は難しいものの、ここまで差が付くほどの差ではない。やはり入団の際のゴタゴタが尾を引いているとしか思えなかった。
投票後、その1票を入れたのが誰か、ということが話題となった。「週刊文春」は投票者が誰かを取材し、4ページの特集記事として掲載したほど。実は、1票を入れたのは、当時、スポーツニッポンで記者をしていた私であった。それを突き止めた同誌のインタビューに私は答えている。
<もちろん、江川が新人王を取るだろうなどとは期待してはいませんでした。でも、十票ぐらいは入るだろう。それがたったの1票とはねえ……>
<新人王というのは技術的なものと、ルーキーにはできないことをやったかどうかの二点を考えるべきだと思うんです、どんな立場に置かれても技能と精神力で取るのが新人王だと思うんです>
<世間の批判をあれだけ受ければ、普通の人間ならノイローゼになりますよね。それを乗り切った。何十人という記者を前にして「そう興奮しないでください」とやった、あの心臓はマウンド上でも発揮されましたよね>
今振り返っても思いは同じだ。まだ20代前半の若者が、世間を全て敵に回しながらも、マウンドに立ち、痛烈な野次を浴びせられる中で結果を残した。もちろん野球技術も素晴らしかった。その姿に彼こそが新人王にふさわしいと思い、気持ちを素直に投票に表したのだ。
まさかの沢村賞落選
江川は翌シーズンから実力を発揮し始めた。2年目に16勝を挙げ、最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。3年目には20勝を挙げ、最多勝、最多奪三振、最優秀防御率と投手3冠を達成。その年の沢村賞はどう考えても江川に輝く――それが常識的な見立てだった。
ところが、蓋を開けてみれば、受賞したのは同僚の西本聖。西本も18勝12敗と立派な成績だったが、主要な成績はいずれも江川より劣っていた。「何か」が働いたのは間違いなかった。その頃の球界にはまだ「空白の一日」の記憶が生々しく残っていた。実際、選考委員の一人は、「人格が沢村賞に値しないから」と真っ正直に述べている。受賞を確信し、会見のための席についていた江川は憮然としてその場を去った。
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