イチロー氏(51)オリックス監督には「なろうと思えばいつでもなれていたのだが…」「人種」でも「人望」でもないメジャー監督への“壁”とは?

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WBC監督は実現しなかったが

 米大リーグ、マリナーズなどで通算3089安打を放ったイチロー氏(51)がアジア人として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たした。2001年、日本人初の野手としてメジャーデビュー。1年目から最優秀選手(MVP)、首位打者、盗塁王、新人王に輝き、04年には「不滅」と言われるシーズン最多記録の262安打、ルーキーイヤーから10年連続の200安打達成にオールスター戦、ゴールドグラブ選出……。そして米球界では最高の栄誉とされる今回の殿堂入りだ。イチロー氏が記者会見で「プロ野球選手としての評価は最高。比べるものがないくらい。これ以上はないし、この後はない」と語ったように、さまざまな偉業に彩られた競技人生は完結をみたと言える。

 気になるのは今後のキャリアだ。19年の引退後は「野球の研究者」の言葉を体現し、現役さながらのトレーニングをこなしながら高校生への実技を交えた指導をライフワークとしている。しかし、ファンならずとも一度は見てみたいのは監督としての姿ではないか。日米でその実現性を探ると――。

 イチロー氏はメジャー時代、毎年オフに帰国した際にオリックスの宮内義彦オーナー(当時)と会食するのが恒例だった。オリックス球団関係者によると、実現はしなかったものの、現役晩年にオリックス復帰の感触を探ったことがあったという。さらに、同関係者は「イチローが望めば、つまり(オリックスで)監督になろうと思えば、いつでもなれていたと思うのですが……。ある意味、選手として復帰する以上に監督はハードルが高かったのかもしれません」と振り返る。

 イチロー氏と監督といえば、23年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表を優勝に導いた栗山英樹監督の後任選びで、数多の候補の中から真っ先に打診されたことが記憶に新しい。このWBC終了直後から早くも次回大会出場に意欲を示していた大谷翔平(ドジャース)とも信頼関係がある。06、09年のWBCでは日本代表のチームリーダーとして2連覇に貢献した。この時以来の連覇に挑む26年大会で指揮を執る人選として、これ以上の最適者はいないように映ったのだが……。

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