平成以降“最低の成績” 「豊昇龍」を何としてでも「横綱」に昇進させたかった「2人の親方」の思惑

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 日本相撲協会が1月29日、第74代横綱・豊昇龍の伝達式を行った。モンゴル人力士として史上6人目の横綱の誕生である。初場所での優勝決定巴戦による大逆転優勝が大きな後押しとはなったが、協会では豊昇龍が平幕相手に3敗したことから、来場所以降への綱取り「見送り論」が大勢を占めていた。それでも執行部はなぜ、横綱誕生に走ったのか。舞台裏を探った。

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 確かに千秋楽の豊昇龍は素晴らしかった。本割で大関・琴櫻を圧倒。優勝決定の巴戦では金峰山、王鵬を連覇。2度目の優勝を果たした。しかし、12勝3敗での優勝は決して胸を張れる数字ではない。その3敗も9日目までに平幕相手に喫したものだった。

 昇進までの2場所合計で25勝、3場所合計でも33勝は、どちらも平成以降の横綱では最低の数字。今場所3敗を喫した時点で、審判部の空気は昇進見送り論が大半。副部長の粂川親方(元小結・琴稲妻)も「厳しいと言えば厳しい」と述べていた。

空気を入れたのは……

 しかし、そこに必死で“空気”を入れ続けていたのが、八角理事長(元横綱・北勝海)や高田川審判部長(元関脇・安芸乃島)だ。

 12日目の取組後で、豊昇龍がトップまで星1差まで迫ると、理事長は「ムードが出てきたでしょ」と発言。翌日には九重審判部副部長(元大関・千代大海)が「千秋楽次第ではいろんな話が出る」と述べた。

 事態が一気に動いたのは、千秋楽の午後に行われた「審判部会」だった。この時も審判部員の中では「昇進は見送るべき」という意見が多くを占めていた。それを突き返したのが高田川審判部長である。「負けた相撲も前に出ている」と評価し、「優勝したら横綱昇進が動き出す」ことを、「部長の責任で」判断したという。こうした審判部の意向は当然、千秋楽の土俵に上がる前の豊昇龍にも伝わっていたであろう。本割、巴戦での奮起に繋がったのは想像に難くない。

 巴戦で完勝した豊昇龍に高田川審判部長は「負けた相撲も出合い頭でたまたま負けた。(巴戦の)相撲を見ると文句のつけるところはない」と絶賛。横綱昇進を諮る臨時理事会の招集を要請した。

 理事会での推挙を受けて、横綱審議委員会(委員長・山内昌之東大名誉教授)でも「満場一致」で豊昇龍を横綱に推薦した。会議はわずか8分で終了。連続優勝だった白鵬の昇進時ですら10分間の議論があったにもかかわらず、だ。

 まるで、理事長と審判部長の「合作」を横審が追認したような横綱昇進だったのである。

理事長の「推し」

 そもそも、場所前から八角理事長は「豊昇龍」推しだった。

 1月5日、横審による稽古総見に出た後、豊昇龍について「今場所(優勝)の1番手!」「立ち合いで当たってからの流れ。前に出ようという気持ちが出ていた」と誉めそやしている。普段は「立ち合いがなっていない」「礼を失している」などとコメントすることもあったが、今場所前は手放しの褒めようだった。

 その背景には、既に指摘されているように、相撲協会の抱えている“事情”がある。

 場所前の段階で、横綱は照ノ富士1人のみ。照ノ富士は両膝の変形性関節症に加え、糖尿病の悪化にも悩まされ、昨年は6場所中、皆勤したのは2場所だけ。秋場所と九州場所は2場所連続全休だった。既に33歳、昨年優勝回数を10回と2桁に乗せたこともあり、いつ引退してもおかしくないと言われていた。実際、照ノ富士は場所の序盤で2敗を喫し、引退を表明した。

 来場所、横綱空位となれば、32年ぶりの事態となる。それは避けたかった。

 さらに、今年は相撲協会にとって、財団法人設立100周年のメモリアルイヤー。それを記念し、ロンドン公演(10月15日から19日)が決まっている。その公演の場に横綱がいるかいないか、イギリスのファンに横綱土俵入りを見せられるか否かは成否に大きく関わってくる。海外公演、巡業を収益の柱の1つにしたい協会にとっては、「横綱空位」が大きな足枷になるのは言うまでもない。

 そうした事情が八角理事長の頭の中にあり、場所前からの「豊昇龍推し」に繋がった可能性は否定できない。そして、高田川審判部長は理事長の懐刀の1人でもある。

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