なぜフリー記者は「フジ10時間会見」でヒステリックに振る舞ったのか 「まるでカスハラ」「浅ましい承認欲求が透けて見えた」
己の正義
「浅ましい承認欲求が透けて見えます。千載一遇の現場に行って闘ってきたとYouTubeやSNSで報告することでバズりたい、フォロワーに褒めてほしい、同業者にもいい顔ができるといった思いが見え、不愉快でした。思い起こせば、僕も若い頃には勇んで記者会見の臨んだものです。でも、自分より前に鋭い質問をする記者がいると、自分の浅はかさに気づいて引っ込めたものです」(井上氏)
そんなこともあったな、と思うジャーナリスト、記者は少なくないはずだ。
「ところが彼らにはそれがありません。だから素人同然なのです。今回の問題は中居正広氏の女性トラブルに始まり、フジの対応ミスなど現象としてはわかりやすいものです。ところが、彼らは問題の本質を自分の中に落とし込むことができていない。記事すらろくに読んでなく、『ヤフトピは見てきました』という程度の人もいて、深い質問などできるわけがない。問題の本質が理解できていないから質問が“お気持ち表明”になったり、会見慣れもしていないからグダグダ喋り続けたり……。彼らは“オレが考えた正義”に囚われているから客観的な視点がない、ルサンチマンしか感じられないのも問題です」(井上氏)
しかも……。
「今回の放送を最後まで見続けた人の多くは、フジテレビのトップたちが何を語るのか、フジは今後どこへ進もうとしているのか、ちゃんとした答えやビジョンを聞きたいという人がほとんどだったと思います。ところが、彼らはそういう人たちが会見の中継を見ているという意識がありません。YouTubeやSNSでバズりたいだけですから、あのような質問にもならない質問をして悦に入っている。その時点で、会見場で手を挙げる資格もジャーナリストを名乗る資格もない。見ている側には彼らのスキル不足、能力不足が不快に感じられるのです」(井上氏)
10時間以上も会見を続ける必要があったのだろうか。
勤勉だけど無能
「今回の会見はフジがオープンで受け入れると表明したので仕方がなかった。とはいえ、1日8時間働いても疲れるのに、10時間半も座りっぱなし、喋りっぱなしの会見は、まさに拷問に近いものでした。最後のほうは皆さん、頭がボーッとしているようにも見受けられました。記者会見は3時間が限度ではないでしょうか。しかし、“フジ帝国が倒れた”という革命の熱気に興奮して騒いでいる感じでしたから、途中で会見を終わらせることもできなかった。やり直し会見まであまり時間がなかったとはいえ、想定される質問に対しては事前にペーパーを配って答えておいたほうがよかったかもしれません。同じ質問が繰り返されたときには、『お手元の資料をご覧ください』で済みますからね」(井上氏)
彼らはオールドメディアに対するニューメディアと言えるのだろうか。
「20世紀初頭に活躍したドイツの軍人、ハンス・フォン・ゼークトが語ったという『ゼークトの組織論』では、最も優秀なのは“利口で勤勉”な兵士、その次は“利口で怠慢”、次は“無能で怠慢”、そして、最後の“無能で勤勉”な兵士は軍に置くなというジョークがあります。今回の会見では、勤勉だけど無能な人々の塊を見たような気がしました。お台場までわざわざ行って、10時間半つき合ったというのは勤勉かもしれませんが、無能な己の承認欲求を満たしただけ。そして間違った使命を粛々と果たし、みなさんに迷惑を掛けただけでした。とてもメディアとは言えないでしょう」(井上氏)