「橋下徹氏を重用するのは日枝さんの影響」「自分の脅威になる優秀な人は偉くさせない」 フジテレビを壊した根深い「日枝支配」
10時間超に及んだフジテレビの「やり直し会見」。そこで繰り返し質問が飛んだのは、長らく君臨してきた日枝久(ひえだひさし)・取締役相談役(87)についてだった。居座りを決め込んだ“フジテレビのドン”による支配はいかに組織をむしばみ、今回の事態を招くに至ったのか――。
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「セクハラですよ」と言う社員は生き残れない
日枝氏が早稲田大学を卒業後フジテレビに入社したのは1961年。当時、フジは開局3年目だった。当初は報道部に所属していたが、労組の結成に関わったことで編成へ飛ばされ、さらに労組の書記長になると閑職の広報課に追いやられた。
転機が訪れるのは、フジサンケイグループ会議初代議長・鹿内信隆氏の長男、春雄氏がフジの副社長に就任した80年。その年、春雄氏が「実力本位」の考えで編成局長に抜てきしたのが42歳の日枝氏だった。
翌81年には、開局当初の「母と子のフジテレビ」に代わり「楽しくなければテレビじゃない」がキャッチフレーズとなった。
フジ元社員はこう言う。
「あのキャッチフレーズは『自分たちが楽しくなければテレビじゃない』ということ。だからワイワイガヤガヤ盛り上がってる時に“セクハラですよ”とか言う社員はすぐに飛ばされるし生き残れない。楽しくなければテレビじゃない、というノリが、倫理的に問題のある行動でもノーと言えない体制を生み出して組織が腐っていったのです」
“絶対的権力”を確立させた出来事
年間視聴率3冠王などの実績を上げた日枝氏が社長の座に就いたのは88年、50歳の時。ただし、その権力が「絶対的」なものになるのは92年以降である。
フジサンケイグループではこの年、ある「政変」が起こっている。鹿内春雄氏の急死(享年42)に伴って後継者となったのは、鹿内信隆氏の娘婿で養子の宏明氏だった。その宏明氏の会長解任を求める動議が産経新聞社の取締役会で成立し、可決。これを受けて宏明氏はフジサンケイグループ会議議長やフジテレビ代表取締役会長などの職も辞任することになったが、この「クーデター」を主導したのが日枝氏その人だった。
「日枝さんに誰も文句が言えなくなったのは、彼がクーデターのような形で権力を奪取したことも関係していると思います。役員としては、もし日枝さんのやり方に反発したら、クーデターの時のように知らないうちに根回しがされて、気付くと日枝さんを批判するのは自分だけ、という状態になるかもしれない不安感があるわけです」(フジの元重役)
2001年、日枝氏は会長に就任。その4年後に起こったライブドアによるニッポン放送株買い占め騒動では矢面に立ってマスコミの取材に応じ、難局を切り抜けた。これにより、ますます日枝氏に歯向かう者はいなくなった。
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