BEGIN、故郷・沖縄への想いを込めた代表曲「島人ぬ宝」が令和でも支持される“納得の理由”とは “イカ天”を経てのデビュー当時も振り返る

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紅白出場の代表曲「島人ぬ宝」は「沖縄の子どもたちと作った、想いがつまった曲」

 第1位は、’02年のシングル「島人ぬ宝(しまんちゅぬたから)」。三線や大太鼓など沖縄らしい音色が響く演奏に、故郷を愛する歌詞や優しい歌声が重なる。まさにBEGINの代表作と言えるだろう。Spotifyでの再生回数は2千万回弱だが、全ストリーミングサービスを合計すると、’24年8月時点で5千万回を超えており、日本レコード協会の「ゴールド認定」を受けている。

 この曲がどういった経緯で作られたのか、改めて尋ねてみた。

比嘉「“沖縄版『みんなのうた』を新たに作りたい”というのがきっかけでした。というのは、僕らが子どもの時には『おーい グルクン!!』とか『悲しきマングース』とか、沖縄を題材とした『みんなのうた』があって。大人になってから飲み会で集まっても、みんな覚えているんですよ」

 そこで、歌を通して次の世代に想いを託そうと、地元・石垣島の中学生に『島への想い』をテーマに作文をしてもらい、そこから歌詞をまとめたという。

比嘉「僕らとしては、地元の卒業式だけで歌える歌を作ったつもりだったんです。それが、こうして全国的に歌っていただけるなんて思ってもいなかったですね。だって、“しまんちゅ”なんて言葉、当時は伝わらなかったですから」

 本作は、オリコン最高47位、また収録されたアルバム『ビギンの島唄~オモトタケオ2~』も最高33位と目立った売れ方をしたわけではないが、いずれもロングセールスとなり、同年末のNHK紅白歌合戦にはデビュー13年目にして初出場となった。リリース後に、NHKにて沖縄本土復帰30周年イメージソングとして、たびたび放送されたことも後押ししたのだろう(“テレビでは映せない ラジオでも流せない”といった歌詞があるにもかかわらず採用したNHKの懐の広さにも感心する)。

島袋「デビューから10年以上経ってから、こういう方言のタイトルで『紅白』のステージに立てる時代になったんだと感慨深かったです。あと、歌う前に(比嘉)栄昇が、“これは沖縄の子どもたちと作った歌です。沖縄が本土復帰して30年、夢がかなう時代になりました。沖縄のおじぃ、おばぁ、ありがとう”と言ったことも印象に残っています」

比嘉「今から考えると、『紅白』の番組内のあんなに時間のない中で、よく言わせてもらえたなと思いますね」

 その甲斐あってさらに全国区で歌われる歌となり、今でも、カラオケで年間50位前後をずっと推移している(JOYSOUND調べ)。時を経るごとに、当時のCDでのヒット感よりも圧倒的に浸透していることがわかる。

上地「周りでも流れていたり歌われたりしているのを聞いて、みなさんに愛されているという実感があります。沖縄に行った修学旅行生たちが歌ったという話も耳にするし、実際、海外のエイサー隊も、この歌で太鼓を叩いている方が多いですね。それだけ歌詞のもととなった(中学生たちの)想いがすばらしいんだと思います」

比嘉「“この歌は自分の歌だ”と言って歌ってくれる方もとても多くて。当時、中学生の男の子だった方からは、“僕は、栄昇さんよりも歌っていますよ”と言われました(笑)」

島袋「お店のカラオケで歌ったら、途中の“イーヤーサーサー”の合いの手の部分で、周りの知らない人たちが入ってくれて一体感が生まれるというのも、人気の要因かもしれませんね」

‘25年には、アニメ『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』(TOKYO MXほか)第1話のエンディングテーマとしてカバー曲が採用され、オリジナルであるBEGINの配信部門も再浮上している。

 また、余談ではあるが、本シングルはカップリング曲のタイトルの長さ(「それでも暮らしは続くから 全てを 今 忘れてしまう為には 全てを 今 知っている事が条件で 僕にはとても無理だから 一つずつ忘れて行く為に 愛する人達と手を取り 分け合って せめて思い出さないように 暮らしを続けて行くのです」)もメディアでたびたび話題となっている。

比嘉「当時、レコード会社の方から、歌のタイトルが大事だと何度も言われて。ならば、先にタイトルで伝えたいことを言っておいたら、歌はスッキリするんじゃないかというだけで、記録を作るためとかは、まったく意図していませんでした」

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