65年間で「支配者」はたったの3人 フジ血塗られた歴史 87歳・日枝氏が権力にしがみつく理由
日枝氏退任は
中居正広氏(52)が起こしたトラブルとフジテレビのガバナンス不全の問題で、同局の嘉納修治会長(74)と港浩一社長(72)が27日付で辞任した。一方で同局とフジ・メディア・ホールディングス(フジHD)の最高権力者と見られている両社の取締役相談役・日枝久氏(87)は続投する。日枝氏はどうして辞めないのか。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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日枝氏には辞めるつもりがない。フジとフジHDの首脳陣も辞めさせようとしない。
かつては違った。日枝氏が会長だった2007年、後任社長の村上光一氏(84)が自分の退任時に「一緒に辞めましょう」と促したとされる。いわば日枝氏を道連れにしようとした。
村上氏は映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」(1998年)などを製作した映画人でもある。スマートなインテリだったが、腹が据わっていた。権力の長期化はフジのためにならないと考えたようだ。村上氏は同「吉原炎上」(1987年)を手掛けた無頼派監督・故五社英雄監督の直属の部下だった。
だが、日枝氏は辞めなかった。その後は2017年までフジとフジHDの代表取締役会長兼CEOであり続けた。同年から両社の取締役相談役に転じたものの、フジ関係者によると、今も取締役会では中央付近の席に座り続けている。
ずっとフジの実質的な最高権力者。社長を指名するのはもちろん、局長級の人事にも影響力を持っているという。フジのオーナーは日枝氏だと言っても過言ではない。
それなのに27日の超ロングラン会見には出なかった。嘉納修治氏は理由を「業務の執行に関与しておらず、今回の問題に直接かかわりはないので」と説明した。
港氏は日枝氏の役割について「良いアドバイスをいただいている」と語った。もっとも、それが本当なら、矛盾が生じる。日枝氏は取締役である必要がないのである。
取締役は経営に関する決定権限や執行権限を持つ(会社法第348条第1項)。一方、相談役は会社の経営事項について決定権限がなく、仕事はアドバイス役。港氏の言葉を額面通りに受け止めるなら、日枝氏はただの相談役でいいのだ。
日枝氏が権力を手放そうとしないのはなぜか。まず背景には1957年に誕生したフジの歴史がある。他局とは際立って違う。
初代社長は財界人の水野成夫氏だった。やはり財界人の鹿内信隆氏が全面的に協力した。だが、やがて水野氏と鹿内氏の関係に亀裂が入った。そんなとき、水野氏が病に倒れる。すると、鹿内氏は経営権を奪った。
2代目社長となった鹿内氏は経済団体「日経連(日本経営者団体連盟)」の大幹部だった。当時の日経連は労働組合と全面対決する姿勢を見せ、「戦う日経連」と呼ばれていた。そのメディアの砦がフジ。だから伝統的に組合活動が低調なのである。
3代目は浅野賢澄氏。郵政省(現総務相)からの天下りで、鹿内氏からの信頼が厚かった。ただし実権を握っていたのは鹿内氏である。
4代目はやはり鹿内氏に買われていたニッポン放送社長の石田達郎氏。阿久悠氏らに慕われる懐の深い才人だったものの、やっぱり支配者は鹿内氏だった。
5代目もニッポン放送出身で人格者として知られた羽佐間重彰氏。鹿内家に信用されていた。羽左間氏が社長のとき、鹿内家を追い落とすクーデターが起こる。先頭に立ったのが日枝氏たちである。
フジは65年もの歴史がありながら、支配者がたった3人しかいないのである。水野氏は鹿内氏に支配権を奪われ、鹿内家は女婿の鹿内宏明氏(79)が日枝氏たちに追い散らされた。
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