自殺した兵庫県議が「最もショックだったこと」とは 「高校の同級生に個人情報をさらされた」
「政治家になるべくしてなった男」
竹内さんは、地元・姫路の進学高から早大政経学部を経て、セブン-イレブン・ジャパンに就職。スカウトを受け旧民主党本部の職員として政界に入る。2003年に故郷へ戻り姫路市議、兵庫県議と当選を重ねていったが、斎藤知事の再選直後に辞職願を提出した。
先の友人によると、
「竹内君は“立花が家に押しかけるなどと言ったので、家族が恐怖を感じている。妻と子供たちから辞めてほしいと言われた。苦渋の決断だった”と話していました。正義感が強く、永田町時代は政策通でもあった彼は、早大の鵬志会という政治サークルで出会った後輩と結婚しています。政治の世界に理解があった奥さんでも、子供らの様子を見て、これ以上は続けてほしくないと思ったのでは」
前出の上野氏に聞くと、
「“家族を守るため辞任した”と竹内は言っていたけど、議員の仕事は彼にとって人生の柱だった。政治家になるべくして生まれてきたような男だったから、ネットが原因で大事なポリシーや周囲の人たちからの信頼を失い、不安に苛まれていたと思う。彼にはSNSなんて見るな、気にするなと忠告しましたが、どうしても知人や支援者から“ネットに流れている話は本当か”と聞かれたら、対応しないといけませんから」
“生きていたら絶対に会いましょう”
県議を辞職後、竹内さんとやり取りをした知人は、
「快活な関西のオッサンを絵に描いたような人だったのに、数カ月前から“私の人間性とかあなたなら分かってくれるかも……”“生きていたら絶対に会いましょう”など弱気な発言が多く、心配していました」
竹内さんの死後、斎藤知事は会見で、記者から“立花氏ら誹謗中傷を行う者に自制を求めないのか”と問われたが、明言を避けた。新たな犠牲者が出る前に、知事として早急にすべきことがあるのではないか。
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