フジ会見で質問に立ったフジ記者は「報道局幹部で日枝久相談役の元秘書」だった 会見を見た社員たちの“本音”を聞く
実は「一介の記者」ではなかった「社会部記者」
そしてハイライトの一つだった「フジ社会部記者」の質問場面について意外な事実を明かすのである。
あの場面は会見が始まった4時間が経過した午後8時頃に突如起きた。
「フジテレビ社会部のカツマタと申します。日頃、たくさんの企業や個人の不正、疑惑について厳しく追及させていただいていますので、本当にこういうことになって申し訳ないと思います…」
この瞬間、会場はざわめいた。とうとう身内同士でやり合うのか…⁈ テレビやネット中継を見ていた人も同様に驚いただろう。そしてカツマタ記者は「情報隠ぺいをしているんじゃないか」と港氏や遠藤氏に鋭く切り込んでいったのだった。
世間は彼を「一介の記者」と誤解したかもしれない。だがそうではなかった。フルネームは勝又隆幸氏。実は社会部長の肩書を持つ報道局幹部だったのである。
「今回はフジテレビ報道局でも、他社に制限した『記者は1社2名まで』と同じ条件で参加し、勝又さんともう一人の記者が参加しました。そんな中、勝又さんは自らの意思で挙手したのだと思います。部下の苦労も背負っていたのでしょう。彼なりのジャーナリスト魂で質問していたとは思います。実際、あの温厚な遠藤さんが、勝又さんに噛みつかれてキレた表情をしていましたからね」(社員A)
「日枝久相談役」に触れられなかった理由
だが「他に聞くべきもっと大事なことがあったはず」と続ける。
「あのグタグタ会見の最大の問題点は日枝久相談役が出てこず、辞任しなかったことに尽きます。少なくとも社員たちはみんなそう思っている。労働組合も繰り返し要求してきたのに結局日枝氏は逃げた。社員を代表して聞くならばそこに切り込んで欲しかった」(同)
そして、それが叶わなかった理由をこう推測するのである。
「勝又さんは社会部長になる前、秘書室で2年くらい日枝さんの秘書をやっていたのです。そういう文脈から見ると、身内からはお手盛りだったように見えてしまい…。『秘書室と組んだプロレスに見えた』と揶揄する声もちらほら聞こえます」(同)
かくしてフジテレビ社員にとって長い一日は終わったのだった。だが、再生には程遠いと社員たちは口々に言う。
「あんな会見を生で見させられて、翌日から“今日からまた楽しくフジテレビを見よう”なんて思う視聴者はいませんよね。これからどうやって番組を作れば良いのか…」(社員A)
「ますます会社に行きたくなくなった」(社員B)
「私たちの心はズタボロなのに、上層部も自分たちのことで頭がいっぱいで社員のケアが全く出来ていない。これから入ってくる新入社員たちがかわいそうです」(社員C)
そしてこう口を揃えるのである。
「日枝さん、頼むから今からでもいい。出てこなくてもいいから辞めてくれ!」
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