排卵日の「行為強制」が苦痛…結婚2年、進まぬ妊活で見えた妻の本性 44歳夫のボヤキ
「もう結婚しちゃったし」
奈那さんは、「わかった。それについては私が折れる。医者には行かなくていい。でも家で私の言うことを聞いてくれる?」と作戦を変更した。妊娠しやすい時期に必ずしなければいけなくなった。それはそれで苦痛だったし、残業や飲み会が入っているとなかなかセックスする気にはなれない。
「排卵日にしないととたんに機嫌が悪くなる。しっかりしていて気配りもできる人だと思っていたけど、実は自分の思い通りにならないと許せないという激しさがあるとわかりました。でももう結婚しちゃったし、様子を見るしかないなと思っていた」
なるべく妻の思いに添うよう、貞一さんなりにがんばったが、なかなか結果が出ない。奈那さんにとって、自分のすることに結果がともなわない経験は初めてだったのだろう。かなりヒステリックになっていた時期もあった。奈那さんの両親が近くに住んでいたのだが、奈那さんは母親に愚痴ったり頼ったりはしなかった。
「おかあさんに私の苦しみがわかるはずないから、と冷たく言っていましたね。奈那は親とも仲がよさそうに見えたけど、案外、そうじゃないのかもしれないと気づきました。ただ、家族なんて、いつでも仲がいいわけじゃないし、いろいろありますから、そこは見て見ぬふりをしておいた」
妊娠に「これで不機嫌に振り回されなくてすむ」
もう仕事を辞めて不妊治療に専念したいと奈那さんは言いだした。それに巻き込まれるのだけはごめんだと貞一さんは思っていた。だがそれから数週間後、妊娠がわかった。
「ホッとしました。これで奈那の不機嫌に振り回されなくてすむ。最初に思ったのがそれでした。僕はあのころすでに奈那を大事に思っていなかったのかもしれません」
奈那さんは大事をとると言って、いきなり退職してしまった。会社が困るだろと思わず貞一さんが言うと、「あなたは私より私の勤務先を気にするの?」と声を荒げた。君子危うきに近寄らず。妻の妊娠中、彼はずっとそんな気持ちでいたという。
「本人が思うほど大変なことは起きず、妊娠は順調に継続されました。僕も早く帰って家事をしたほうがいいのはわかっていたけど、当時、仕事が本当に忙しくて、帰宅はいつも10時ころでした。やむなく僕から義母に少し助けてもらえないかと連絡したのを覚えています。奈那は『おかあさんが来るくらいなら、ひとりのほうがいい』と言ったけど、臨月が近づくにつれ不安もあったんでしょう。母親が来ることを了解しました」
貞一さん34歳、奈那さん32歳で娘が産まれてからも、義母を頼った。義母は20歳で奈那さんを産んだので、当時まだ52歳。闊達で気持ちいいくらいさっぱりした女性だった。奈那さんは、「うちの母親はヤンキー上がりだから」と軽蔑するように言ったことがある。だが家に来るようになった義母と話してみると、新聞数紙を毎日読み込み、趣味は読書で、貞一さんが目を通していない経済関係の本まで読んでいた。知的で、でもおもしろくて話しやすい。貞一さんは義母が来るのが楽しみになったくらいだった。
義母はそのころはパートで仕事をしていたが、シフトを変えて平日の朝と夕方には娘の様子を見に来てくれていた。娘のことが心配だったのだろう。だが当の娘は、どことなく母親をうっとうしがっているようだった。
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奈那さんには奈那さんなりの悩みや苦しみがあったはずだが……妻の妊娠をめぐっては、貞一さんはかなり頭が痛かったようだ。だが娘が産まれても彼の悩みは尽きなかった。詳しくは記事後編で紹介している。
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