「ヤクルト村上」の最終シーズンはどうなる…「イチロー」「大谷翔平」「松井秀喜」らの日本球界最終年の成績を振り返ると?

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 3年契約の最終年を迎え、今オフのメジャー挑戦が確実となったヤクルト・村上宗隆。本人も「日本でやる最後のシーズンになると思います」と明言しており、自他ともに納得のいく成績を残して、新天地に旅立っていきたいところだ。そして、過去にメジャー移籍した大物打者たちは、NPB最終年にどんな成績を残したのか? 彼らの足跡を振り返ってみよう(金額はいずれも推定)。【久保田龍雄/ライター】

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あのイチローもシーズン最後はケガで欠場していた

 前人未到の7年連続首位打者を達成したものの、故障でシーズン終盤を棒に振ったのが、オリックス最終年(2000年)のイチローである。

 同年8月27日のロッテ戦、3回の打席でファウルした際に右脇腹を痛めたイチローは全治3、4週間と診断され、残りシーズンの出場が絶望的となった。

 だが、すでに規定打席に到達し、打率.387で2位の日本ハム・オバンドー(.352)に3分以上の大差をつけていたことから、7年連続首位打者が確定した。

 そして、本拠地最終戦を翌日に控えた10月12日に「数年前から米大リーグに挑戦したい気持ちが強くなっていた。(米国に骨を埋める)そういう覚悟で行く」とメジャー挑戦を表明。翌13日の西武戦では、9回にライトの守備に就き、日本のファンに最後の雄姿を見せた。

「ワーッと来て、全然味わったことのない感動。僕は幸せ者です」と両目を真っ赤にしたイチローは、先頭打者・小関竜也の一ゴロエラーの打球を処理して送球の構えを見せたのが、日本での最後のプレーとなった。

 イチローとは逆にシーズン前半を棒に振ったのが、日本ハム最終年(2017年)の大谷翔平である。

日本最後のシーズンで出遅れた大谷翔平

 前年は投手として二桁勝利(10勝4敗1ホールド、防御率1.86)、打者としても自己最多の22本塁打を記録し、チームの10年ぶり日本一に貢献。パ・リーグMVPとともに、NPB史上初の投手、打者(指名打者)両部門でベストナイン選出という“二刀流”ならではの快挙を成し遂げた。

 だが、翌17年は、1月の自主トレ中に右足首を痛め、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の出場を辞退。開幕後も4月8日のオリックス戦で走塁中に左太もも裏を痛め、2軍で調整することになった。

 当初、交流戦が開幕する5月30日前後の復帰を目指していたが、登録抹消直後に発熱し、4月10日に病院で検査を受けたところ、インフルエンザB型と判明。「インフル、右足、左足…『災難』3連発」(4月11日付・日刊スポーツ)と報じられた。

 この結果、復帰は6月27日まで遅れ、投手としては3勝2敗、防御率3.20、野手としても65試合出場の打率.322、8本塁打にとどまり、チームも連覇を逃した。

 だが、「昨年の優勝があって、ようやくひとつ達成感があった。そこからちょっとずつ行きたい気持ちが強くなった」という大谷は11月11日、ポスティングでのメジャー挑戦を表明。5年前、「18歳でメジャーに行くより、日本のプロ野球で基礎を固めてから米国に行くほうがいい」と栗山英樹監督に説得され、日本ハムに入団した大谷は「いろいろあったが、ファイターズに入って良かった」と周囲に感謝しながら、“世界の大谷”への第1歩を踏み出した。

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