全国で頻発するメガソーラーのトラブル 原発事故後に分断を煽ったメディアの責任は
再エネの欠点に目が向けられなかった
メディアでは、とくに朝日新聞が議論を拒む主張をしていたと記憶している。たとえば2011年3月25日付の社説には、次のように記されている。
「長期的には原子力への安易な依存は許されなくなる。太陽光や風力、燃料電池など新エネルギーの利用を増やし、地球温暖化防止に必要な低炭素社会への地ならしにもしたい」
これが書かれたのは、震災および原発事故の発生から2週間もたっていない時期だが、その後、「原発」の否定と「新エネルギー」の礼賛は、徐々に度合いが高まっていった。その際、私が考えていたのは、次のようなことだった。
それぞれのエネルギーに長所と短所があるはずで、それらを比較考量すべきではないのか。被災した福島県双葉町の商店街にかけられていた「原子力明るい未来のエネルギー」という標語看板は、原子力の危険性への目を曇らせることになったかもしれない。だったらいま、再生可能エネルギーには短所がないかのように喧伝し、あるかもしれない「危険性」への目を曇らせても、将来に重大な禍根を残すことになるのではないか――。つまり、どちらかに偏るのではなく、両者について十分な議論を尽くすべきではないか、と。
当時、以下の事実を知って危惧したのを忘れない。太陽光パネルで原発1基分の電力を賄おうとすれば、東京都と同じくらいの面積にパネルを敷き詰めなければならない。しかもパネルの耐久性は10年程度だから、定期的に大量の廃棄物が発生する――。
むろん、面積当たりの発電量は技術の進歩とともに増加しており、これからも増加するだろう。耐久性もいまでは20~30年程度といわれている。しかし、一定量を発電するためには広大な土地が必要で、廃棄物という別の負債をかかえるという問題自体が解消されるわけではない。
「太陽光明るい未来のエネルギー」
ところが、最近の朝日新聞には、メガソーラー(大規模太陽光発電施設)の問題を報じる記事が増えている。たとえば、12月6日付朝刊には「山を削る メガソーラー」という記事が掲載された。福島市の吾妻連峰のふもとに、東京ドーム13個ほどの広さの山林を削ってメガソーラーが建設され、市街地のほとんどから視界に入ると記されていた。
原発事故後、福島県は2040年ごろをメドに県内のエネルギーをすべて再生可能エネルギーで賄う「推進ビジョン」を策定。その結果、昨年10月末現在で、県内には国に認定された10メガワット以上の巨大メガソーラーが71施設もあるという。森林法にもとづいて開発された林地の面積は1500ヘクタールにおよび、福島の推進ビジョンに関わったという当時の県幹部は、朝日新聞の取材に「山を削って太陽光発電所がつくられるなんて考えもしなかった。想像力のなさを後悔している」と話したという。
福島県の「推進ビジョン」と同様の主張を紙面で繰り返したのが、震災後の朝日新聞だった。原発による甚大な事故の発生後であり、再生可能エネルギーの可能性を考察するのは当然だったと思う。だが、原発が「許せない」からと全否定する一方で、「対立陣営」たる再生可能エネルギーを妄信したのでは、SNSによって負の感情が増幅された状態と変わらない。
不可欠だったのは、エネルギーの供給をそこに頼ったときに起こりうる問題について、シミュレーションしながら十分な検討を重ねることだった。それをせずに、「原子力明るい未来のエネルギー」の冒頭を入れ替え、「太陽光明るい未来のエネルギー」と信じて突っ走った結果が、この記事で報じられている現状である。そんな状況が生じる後押ししたのが朝日新聞であると、執筆した記者は、あるいは記事の掲載を推し進めたデスクは、認識しているのだろうか。
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