今日ついにフジテレビの命運をかけた「記者会見」…デーブ・スペクター氏が指摘する「守秘義務」「女子アナ」「接待文化」日米の決定的な違い
河田町とお台場の違い
「フジテレビが対応を誤った原因を時系列で遡っていくと、最終的には本社を河田町からお台場に移転させたことにたどり着くと思います。私は河田町時代から番組に出演しており、当時のフジテレビは素晴らしいテレビ局でした。ところが今のフジテレビはテレビ局の良いところを忘れ、大企業の悪いところを社風に取り入れたように見えます」
フジテレビがお台場から放送を始めたのは1997年3月10日の午前5時55分。以来、約30年弱の歳月が流れたことになる。
「河田町時代、働く人は皆さんがむしゃらで『バンドやろうぜ!』感がありました。孤立した人工的な島より新宿がいいでしょう! だから『笑っていいとも』もスタジオアルタで32年も続きました。何しろ地下に『そば八』というとても庶民的な名物お蕎麦屋さんがあったくらい。その愛された店はなぜお台場に移転出来なかったのか、がっかりしたのも覚えています。移転の議論はありましたけどね」
デーブ氏は、それでも移転当初は感心していたという。
「新社屋は綺麗でしたし、河田町時代と社風は同じでした。ところが次第に『テレビ番組を作ることに喜びを感じ、情熱を注ぐ』という社員が減り、『大企業で働くことにプライドを感じ、自己保身しか考えない』社員が増えていきました。お台場の本社には、いつの間にか“高みから視聴者を見下ろす”という雰囲気が感じられるようになり、それがフジテレビの社員を変えてしまったのではないでしょうか」
“重厚長大”なフジテレビ!?
デーブ氏が注目するのは、港社長の会見が開かれた本社10階の大会議室だ。居並ぶ役員の背後に、巨大な油彩の赤富士が飾られていた。
「あの大会議室は私も入ったことがあります。しかしテレビや新聞が掲載した会見の写真を見て、『いかにもテレビ局の会議室らしいな』と感じた視聴者はいたでしょうか? 非常に重い印象を与える内装で、それこそ三菱重工業とか日立製作所といった、“重厚長大”なリーディングカンパニーのイメージに近かったと思います。少なくともテレビ局の会議室には見えません。フジテレビが視聴者の抗議に柔軟な対応ができず、いたずらに硬直化してしまう現象は、今回が初めてではありません。思い出すのは2011年8月に起きた『フジテレビ抗議デモ』への対応です」
2010年1月、フジテレビは平日の午後に「韓流α」の放送を開始。韓国のテレビドラマを流すようになる。これにネット上では「フジテレビは視聴者のニーズを無視し、韓国のドラマやK-POPの楽曲に偏重している」との批判が強くなっていった。
翌11年7月、俳優の高岡蒼甫(現・高岡蒼佑)がTwitter(現・X)に「フジテレビは韓国寄り」といった主旨の投稿を行うと、賛否両論が巻き起こった。ただし「差別的発言」との批判も強かったことから、芸能事務所から契約を解消されてしまう。
[2/5ページ]