月桂樹のポロシャツでおなじみ「フレッド・ペリー」の意外な来歴 “王者”の座を手にしたのはテニスだけではなかった!(小林信也)

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 フレッドペリーといえば、高貴な月桂樹のマークでなじみのファッション・ブランド。その名がテニスの元世界王者に由来することはよく知られている。

 ペリーは1909年、イングランドのストックポートで生まれた。四大大会で通算8勝。ウィンブルドン選手権では34年から36年まで1セットも落とさず3連覇。四大大会で29連勝(歴代2位)、62セット連続獲得などの記録を残している。いまも「イギリスのテニスの神様」と呼ばれる。なぜなら、ペリーは長い間、ウィンブルドンで優勝した最後のイギリス人だったからだ。ペリーの後、地元選手の優勝は2013年のアンディー・マリーまで、実に77年も待たされた。

 33年に全米、34年に全豪とウィンブルドン、35年に全仏を制し、史上初のキャリア・グランドスラムを達成。

 38年アメリカに渡り、プロとしてプレーしながら事業を始めた40年代、最初に作って人気を博したのはフレッドペリーの愛称を入れたリストバンドだ。

〈開発したリストバンドは軽くて、柔らかく、テニスのトッププレイヤーがこぞって使用したことで、フレッドペリーの名前が広まった〉(繊研新聞HP)

 アメリカの市民権を得たペリーは、第2次世界大戦中はアメリカ空軍に入隊。戦争が終わると本格的に実業家に転じた。52年、フレッド・ペリースポーツウェア社を立ちあげ、月桂樹のマークが誕生した。

 当時のテニス界では、ゆったりしたフォルムのウェアが主流だったが、ペリーのウェアは体にフィットするシルエットで動きやすく、多くのトップ選手たちに選ばれた。行動的でシャープなイメージの月桂樹のポロシャツは、瞬く間にテニスコートからストリートへと広がった。

 メンズノンノWEBは、《テニスから生まれ、音楽と育った》と題した記事でこう記している。

〈テニス界で絶大な人気を誇るフレッドペリーがファッションアイテムとして認知されるようになったのは、1960年代。イギリスの労働者層の若者を中心に巻き起こった“モッズ”ムーブメントが契機だった。シングルの三つボタンスーツやモッズコートに身を包んだ若者たちが、こぞってフレッドペリーのポロシャツを着たことで、憧れの的な存在に。(略)モッズカルチャーの象徴となったフレッドペリーのポロシャツは、時代を彩った多くのアイコンから愛されたことでも知られる〉

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