フジテレビはなぜ“閉鎖的”記者会見を開いてしまったのか 元プロデューサーが指摘する、“内輪ノリ”企業風土の歴史

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80年代から時計の針が動かない

 しかし時代は変わった。日本経済が低迷し、フジテレビも時代に合わせて活動方針を変えなくてはならないはずだが、試行錯誤が続き、視聴率は不調、放送収入も急減しているのが現状である。

 そんな中、2023年10月秋の改編のキャッチフレーズは「やっぱり、楽しくなければフジテレビじゃない」だった。やはり、あの頃の楽しかった成功体験から脱却するのは難しいのだろう。新しい時代に適合して進化するのではなく、40年以上前に先祖返りした形ではないのか。「ソト」からは、フジテレビの時計の針は80年代から動いていないように見えてしまう。

 今、日本経済は停滞し貧困に苦しむ人は多い。特にシングルマザー家庭の貧困率は高い。だったら、「楽しくなければテレビじゃない」ではなく、そのひとつ前のもの、70年代まで使っていた「母と子のフジテレビ」に戻した方が、まだこの時代に合っているのではないか。

 このまま、「内部の論理」優先で「ソト」からの力がないままだと、フジテレビの信用はガタ落ちで、スポンサーも視聴者も離れ、放送局として成り立たないだろう。

終わりを告げる鎖国政策

 だが、そうはならない。アクティビストやスポンサーからのプレッシャーにより、フジテレビは変わらざるを得ないからだ。今後、“中居問題”については第三者委員会による調査と検証が行われる。これを経て、フジテレビは企業活動の透明性を高めていかざるを得ないだろう。調査結果の公表は、痛みを伴うことになるが、このステップがないと再生のシナリオは描けない。現経営陣は責任を問われ、フジテレビは一部の系列局を含めての役員、幹部に関する人事システム全体を刷新することになるだろう。もはや幹部の経験的、感覚的判断で先祖返りすることは許されない。経営のあり方に合理的正当性が求められてくる。

 これから取り組むべきは、言葉の問題である。言葉を社会に向けた建前のデコレーションとして発するのではなく、「言葉を額面通りに受け止めて実践する」ことが求められている。

 例えば、ジャニーズ問題が表面化した後に、「フジ・メディア・ホールディングス人権方針」が発表された。その方針には「人権デューディリジェンスの仕組みを構築します」と書かれている。ここで重要なのは、その仕組みの中には「外部とのコミュニケーション」が必須のステップとして含まれていることである。

「外部とのコミュニケーション」を「言葉を額面通りに受け止めて実践する」と、「内部の論理」優先で動くことは許されず、フジテレビは自ずと相互コミュニケーションを通して「ソト」に向かってオープンになっていくことになる。この時フジテレビは再生される。

 黒船は来航した。まだ時間はかかるが、鎖国政策は終わりを告げようとしている。フジテレビはこれから社会に向けて開いていくのである。

吉野嘉高(よしの・よしたか)
1962(昭和37)年広島県生まれ。筑紫女学園大学文学部教授。1986年フジテレビジョン入社。情報番組、ニュース番組のディレクターやプロデューサーのほか、社会部記者などを務める。2009年同社を退職し現職。早稲田大学卒、中央大学大学院修了(法学修士)。著書に「フジテレビはなぜ凋落したのか」(新潮新書)などがある。

デイリー新潮編集部

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