フジテレビはなぜ“閉鎖的”記者会見を開いてしまったのか 元プロデューサーが指摘する、“内輪ノリ”企業風土の歴史

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説明不足という自己矛盾

 フジテレビと自民党は違う。自民党の議員は「岩盤支持層」の有権者に支えられているから、説明責任を果たすことが不十分でも「やっぱり、自民党しかない」とサポートする人が一定数いる。また、国会議員は日本の権力構造の上層部にいて、新聞、テレビ、野党などが声を上げたとしても強い影響力はないので、唯我独尊がまかり通る構造になっている。このため、ノーコメント議員たちは「ソト」の目線を内面化し自らを変革することはなく、狭い日本政治の世界で頑固に閉じていく。

 一方、フジテレビは「岩盤視聴者層」が支持しているようには思えないし、普段、報道部門では「説明責任」を取材対象に突き付けているのだから、十分に説明しないのは自己矛盾も甚だしい。

 さらに自民党と決定的に違うのは、フジテレビの場合、ガバナンスを重視する米投資ファンド「ダルトン・インベストメンツ」やその関連会社が、もの言う株主として「ソト」から企業活動に目を光らせているということだ。彼らはコーポレートガバナンスの知識が豊富で、世界基準に照らしてまっとうな主張を突き付けてくる。投資家、スポンサー、社員、視聴者などの信頼を失い、企業価値を下げるような会見を許すわけにはいかないからだ。これらのアクティビストに、ガバナンス不全を指摘されるようなフジテレビの経営陣は太刀打ちできるのだろうか。

「内輪ノリ」のネタ

 港社長が閉鎖的な会見をしたのは、フジテレビが物言う株主のような「ソト」からどう見られているかに鈍感で、まなざしがいつも「ウチ」に向けられているからであろう。

 これはフジテレビの企業風土と密接な関係がある。批判されることもあるフジテレビの社風は、40年以上前の“80年改革”にその淵源がある。70年代に外部に出向していた社員を呼び戻して社内に制作局を設置したほか、組合活動で冷や飯を食わされていた社員を実力本位で抜擢するなどの改革が功を奏して、自由闊達で仲間意識が強い組織が誕生したのである。

 その後フジテレビはバラエティ、ドラマ等で大ヒットを飛ばし、黄金時代を迎えることになる。「内輪ノリ」のネタで、視聴者お構いなしで突っ走っても、それは斬新な発想の発露であったため多くの視聴者に受け入れられていた。当時のキャッチフレーズは、「楽しくなければテレビじゃない」。その享楽的な響きは、バブル景気を迎えた日本社会に違和感なく溶け込んでいた。「ソト」の生活感覚をあまり意識せずに、まなざしを「ウチ」に向けながら会社の「内部の論理」で時代を疾走したのだ。

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