「温かった」の発音に「オーマイガー!」の大合唱 日本で働く「外国人労働者」が直面する意外な「言葉と文化の壁」

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敬語が難しい理由

 とはいえ、発音は日本で暮らしていればいずれ徐々に慣れてくる。それ以上に、習得に膨大な時間がかかるのは、やはり「敬語」だろう。とりわけサービス業に従事している外国人にとっては、避けられない高い壁となる。

 普段何気なく使っている「こめ(米)」という単語も、丁寧に言えば「おこめ」になり、炊けば「ごはん」になり、握れば「おにぎり」になる。

 この「お」と「ご」の付け方には、「音読みの単語」には「ご」、「訓読みの言葉」には「お」がつくという法則はあるものの、「お弁当」や「お返事」のように例外が多いうえ、そもそも外国人にとってその「音読み」と「訓読み」の違いそのものが難しいので、彼らにとって法則はあってないようなものなのだ。

 敬語のなかでも、さらに難しいのが「尊敬語」だ。

 何がそこまで難しくさせているかというと、「尊敬語」の形が「受け身形」とほとんど同じになる点である。

 日本語ネイティブの我々は、会話の際、意識せずとも自然に使い分けられているが、例えば「ボタンを押されました」という文章の前に「お客さまが」が来るか、「お客さまに」が来るかで、180度意味合いが変わってくるのだ。

 これを会話のなかで使い分けるのは、至難の業である。

ことばの省略

 筆者は日本語を学びに来た留学生だけでなく、外資系企業で働く駐在員たちにも日本語を教えていたのだが、ある日、中級レベルの日本語力をもった会社員から、こんな質問を受けたことがある。

「隣の席で、日本人の同僚同士が『大丈夫、水は太らないから』と話していたのだが、そんな日本語があり得るのか」

 太るのは「水」ではなく「飲んだ人間」のはず。が、日本では「水は人を太らせない」とは表現しない。

 それに近いケースでいうと、ある中級クラスの留学生からはこんな話も。

「アルバイト先で初めて『わたしはうどん』、『じゃあ私はてんぷらそば』という会話を聞いた時、日本人は注文する際、みんな食べ物に変身するんだと思った。別の日、『俺大盛り』と言われた時、その人が“大森さん”なのかと一瞬混乱しました」

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