30歳で「死亡通知」を発表した横尾忠則を“狂人の芸術”から救っているものとは? 三島由紀夫が遺した言葉を明かす
先ごろ、56年振りで『横尾忠則遺作集』の復刻版(トゥーヴァージンズ刊)が出ました。出版された年(1968年)に生まれた人も60歳の初老まであと少しです。とにかく、60年も前に僕はこんな絵を描き、こんなことをしていた、ということのすべてがこの本に記録されています。
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僕が30歳の頃です。「29歳で頂点に達して、自殺しました」という英文のコピーを入れたポスターを作り、同時に死亡通知を業界紙に掲載しました。そしてこの遺作集を発刊したのです。つまり自らがスキャンダルの主人公になったのです。三島由紀夫さんはこんな僕の作品と行為に対して、何んてエチケットに欠けた無礼な奴だと言いながらも作品は無礼でいいんだとも言いました。
この頃というか若い頃、僕は死の恐怖に取り憑かれていました。なぜだかよくわからないんですよね。まあ僕に限らず誰もが恐れているのが死ですが、僕は必要以上に死の恐怖に執着していました。
だから何を描いても死のイメージが作品の中に表出するのです。それは今から思うと死のイメージを画面に持ち込むことで死を吐き出し、吐き出すことで死の恐怖を克服しようとしていたのかも知れません。また死を描くことで作品が美を表象するように思っていました。つまり死イコール美なのです。
一方では、「縁起でもない」と批判もされました。でも人間は最終的に縁起でもない存在になるのです。多くの人はなるべく死から離れ、死を無視した生き方をしますが、僕はむしろ死を自らの中に内面化することで僕の創造の元にしていたのです。
死を内面化することで死の恐怖が超克できないかと考えたのです。恐怖の対象である死の向こう側にいって、自分と死が同化してしまえば、怖くないのではと思ったのです。だから徹底的に死とは何かと考え、死に関する本を読んだり、死後の世界の探究を始めたのです。
死は無だと言い切る知識人が大半です。僕はそのような虚無の思想ではなく、その反対の思想、死後生の存在を肯定する思想を信じ、ルドルフ・シュタイナーや、ダンテの『神曲』、『チベットの死者の書』や出口王仁三郎(おにさぶろう)などの霊言集や心霊、神秘主義思想といった本を片端から愛読しました。また各地の霊能者にも逢いにいきました。
その内、人間は現世と来世の両界を行き来し、生死は一体化していると考えるようになっていました。そしていつの間にか死の恐怖が自分の中から脱落していることに気がつきました。それどころか、自分の本体はこちらにあるのではなく、あちらにあるように思い始め、いつしか、向こうの異界の側に立脚して現界を眺めているという視点の移動に気づき始めました。
そうなると、この物質界よりも非物質界の方に自らを位置づけていることになります。こちらの世界が全てではなく、こちらの現象と分離したもうひとつの世界にも存在し、両界に人間は生きているということに気づいたのです。人間の実相はむしろあちらの世界、死後の世界に存在しているという実感が湧き起こって、人間の本体は肉体ではなく魂ではないかと直感しました。そして肉体の側に属している知性や感性よりも魂と同一化している霊性を重視し始めます。
話は『遺作集』に戻りますが、本書の序文に三島さんが僕に対する応援歌を送ってくれています。その言葉の中で三島さんは僕を狂人の芸術から救っているのは外部への関心であり、風刺の即物性、世俗に対する残酷な扱いには、広大な嘲笑された世界が横たわっている。この広野が僕の作品を健康なものにしていると語られています。
そう言われるとこの『遺作集』の主旨は三島さんが全て語っておられるように思います。僕は三島さんに言われて、初めて、「あゝ、そうか」と思うのですが、僕は絵を描く時は極力自分の中から観念や言葉を廃除して、全て肉体にゆだねて描きます。
一般的には自殺をテーマにしたポスターなど描きません。また死んでもいないのに「死亡通知」など発表しません。さらに生きているのに『遺作集』など出す者はいません。僕の行ったことはある意味でこの社会的ルールを無視したことばかりです。だから狂人だと思われても仕方ないのですが、ここは三島さんが「外部への関心」と書いてくれています。つまり肉体を通した社会的現実への関心です。
現在、この本が60年の時空を越えて再度、陽の目を見ることになりましたが、僕の欲求で出版したのではなく、あくまでも出版社の編集者の発案です。本書を手に取ってくれた多くの読者は本書が発刊された時代を知りません。ここにはあの時代の僕の外部への関心から生まれた作品がギッシリつまっています。どのように受け止められるのか、ちょっぴり興味ありますね。