99歳で亡くなった帝拳ジム名物マネージャー「ハルさん」の仰天エピソード 「袖の下を渡され、怖くて突き返せず」「クビになった新聞記者は死屍累々」

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 村田諒太ら多くの世界王者が輩出するわが国随一のボクシングジム「帝拳ジム」には、長野ハルさんという名物マネージャーがいた。御年99歳。小柄で、着飾るふうでもない、一見ごく普通のおばあちゃんである。

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歴代王者を素通りしてハルさんにあいさつ

 だが、ジムを訪れる者は遍(あまね)く、まずハルさんを探す。所属選手はもちろん、記者やテレビ局員、対戦交渉に来た他ジム関係者、遍くである。村田や西岡利晃、山中慎介ら歴代王者がそばにいても、彼らを素通りしてハルさんにあいさつ、それも深々と首(こうべ)を垂れるのだ。

 さるテレビ局員が語る。

「そもそも、テレビだろうがスポーツ紙だろうが、ボクシング担当になったら、まずハルさんにあいさつに行く。それが初仕事でした」

 人呼んで“ボクシング界のゴッドマザー”。彼女に認められずしてボクシングに関わること能(あた)わず、と言っても過言ではない。

 例えば、取材に来た女子アナがリングサイドでおしゃべりに興じていたとする。ハルさんはすかさずプロデューサーを呼びつける。すると女子アナはその場から消え、二度とジムの敷居をまたぐことはなかった。

「似たような感じでクビになった新聞記者も死屍累々。ボクサーの練習環境を守るためでしょう。特に女性には厳しかった」

金券がさりげなく渡されることも

 優しい一面もあった。

 ファイトマネーが入った封筒にはハルさんの手紙が添えられ、それを読んだボクサーは感涙した。

 メディアに対しても、

「『某選手が取材に応じてくれない』と相談したら、その場で電話してくれて取材OKに。『ハルさんを使うなんてズルい』と責められましたけど」

 クオカードや後楽園ホール界隈で使える金券が、さりげなく渡されることも。

「今どき、取材で袖の下なんてあり得ませんが、怖くて突き返せず……」

 斯界に最も長く、最も深く関わってきたハルさんは、

「ジムで初めて世界王者になった大場政夫などのことを尋ねても、『昔話より今の子たちを』と。常に選手思いの方でした」

本田明彦会長ですら頭が上がらず

 生涯独身。なぜかくも畏(おそ)れられたのか。

「世界的プロモーターである本田明彦・帝拳会長も頭が上がらない。先代が急死し、いきなり跡を継ぐことになった際、ハルさんに全てを教わったのだとか」

 そんな彼女のお眼鏡に適ったこのテレビマンですら、

「ジムに通じるエレベーターの『5階』のボタンを押すとき、いつも手が震えた。あそこには、他ジムにない、ピリッとした空気が張り詰めているんです」

 ハルさんの空気である。

 元日、老衰のため永眠。WBAなど世界4団体はそろって追悼コメントを発した。

週刊新潮 2025年1月23日号掲載

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