「渡辺恒雄」没して「松井秀喜」が巨人監督“前向き”発言連発 「引退後13年」読売にそっぽを向いてきた“決定的な原因”とは
再三の要請
先に述べたように、松井監督は巨人にとって、人気回復の切り札だ。引退後、再三、監督就任を要請されてきた経緯がある。
報道されているものだけ見ても、2012年オフの引退直後、当時の白石興二郎オーナーが「早く巨人に戻ってきてもらって、コーチを多少やって、いずれ大監督になってもらいたい」と発言。
2013年明けには渡辺恒雄・読売グループ会長(当時)が「原君(当時の原辰徳監督)のあとは松井君が最適」と明言し、その年5月、松井が国民栄誉賞受賞セレモニーのために帰国した際には、「お父さんに頼んでおいた」と父・昌雄さんを通じてオファーを出したことを明らかにした。
翌2014年になると、流れは一気に加速した。渡辺、白石、長嶋、松井の会談がセッティングされ、その席で要請が行われた。
松井が頷きさえすれば、監督就任は確実に実現する状態だった。しかし、松井は「光栄です」とは言うものの、「現時点でユニホームを着られるだけのものを持ち合わせているとは思えない。勉強しなければいけないことはたくさんある」と固辞する姿勢を示した。結果、話は流れ、原監督の後任には、2016年から後輩の高橋由伸が就くことに。その後、再び原を間に挟み、昨シーズンからやはり後輩の阿部慎之助が指揮官の座に就いている。引退後、13年が経過したものの、松井は変わらずNY住まいのまま。4度に亘って臨時コーチの肩書でキャンプで指導しているものの、正式にユニホームを着る日は訪れていないままである。
退団時のわだかまり
松井はなぜ、監督就任を断り続けてきたのか。それには2つの理由があると言われている。
ひとつは、生活の問題だ。松井は妻との間に、2013年と2017年に生まれた男の子が2人いる。マンハッタンの超高級マンションに住み、ヤンキースのマイナー選手の指導に当たりながら、子育てに勤しむ日々だ。
「また、松井は私生活を明かすことを極端に嫌う。2008年に結婚した奥さんの素性や顔は一度も出ていません。しかし、日本に帰ってくれば、衆人に監視されるような生活になってしまう」(吉見氏)
もう一つの理由は何か。
「MLB移籍した際のいきさつです。当時の渡辺オーナーは、ありとあらゆる手を使って松井を引き留めようとした。5年50億という異例の金額を提示し、お父さんに残留を求める手紙を書き、膝を負傷している松井のために、東京ドームの人工芝を、天然芝に張り変えることまで言及しました。しかし、松井はそれを振り切ってメジャーに行った。怒った渡辺さんは“裏切り者”“恩知らず”と言ったほどです。松井自身も巨人退団の記者会見で、“今は何を言っても裏切り者と思われるかもしれませんが”と言うほど負い目を感じていました」(同)
メジャー在籍時の2008年、巨人は松井の付けていた背番号55を大田泰示に譲った。これもわだかまりに拍車をかけた。
「松井に対し、巨人が“もう戻ってこなくていい”と言っているように見えました。引退後の国民栄誉賞受賞式での挨拶で松井は“もう2度と、ここに戻ることを許されないと思っていました”と言っている。ここに松井の本音が表れている」(同)
[2/3ページ]