【特別読物】「救うこと、救われること」(5) 澤田瞳子さん

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 人気時代小説家の澤田瞳子さんは、歴史に残る英雄より、その時代の名もない人々を描きたいと言います。子供の頃から大の本好きで歴史好き。そして、この「好きなこと」が、澤田さんにとっての原動力であり、救いに繋がっていたのでした。

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 近著『孤城 春たり』では、幕末の備中松山藩で財政改革を担った山田方谷という儒学者と、彼にまつわる人々を描いています。山陽新聞の連載でしたが、私は山田方谷という人物より、名もない人々に関心がありました。幕府が潰れてしまった、どうしよう、とオロオロした大多数の人々を、一つの藩を通じて書こうと思ったんです。幕末は多くの藩にそういう人たちがいたのです。

何者でもない人を描きたい

 最近は『孤城 春たり』のような幕末や、明治時代の話も書いていますが、もともとは古代史専攻でした。知らないことを知りたいという気持ちがとても強く、大学から大学院で古代史を学んだのも、古代の方がわからないことが多いからでした。ただ研究者の仕事とは9割以上事実を積み上げていくもので、憶測を使うのは最後の最後。私は事実は6割でいいから、想像力を働かせたいと思ってしまうので、研究者には向かないとわかりました。

 特に知りたいという強い思いから生まれた作品というと『火定(かじょう)』でしょうか。奈良時代に天然痘が大流行したときの様子を書きました。大勢の人が亡くなったのに、歴史の教科書は、「天平時代に疫病が大流行した」とたった一行だけです。突然のパンデミックに人々はどう対処し、どう乗り越えたのかと思いますよね。でも誰も書いてくれない。ならば自分で書いてみようと思ったんです。

 このときもそうですが、私は歴史の中で目立たなかった人、何者にもならなかった人を描きたい。英雄よりも一般庶民に近い人々の姿を捉えることの方が大事ではないか、という思いがあります。

気がついたら本を読んでいた

 母(作家・澤田ふじ子さん)の仕事柄、家に沢山本があったので、気がついたら本を読んでいました。一番手近な娯楽だったんですね。沢山読みたかったので、中学の頃には古本屋で一冊100円の本をまとめて買い、気にいった作家を見つけるとその方の新刊を買っていきました。通学路にも古本屋があって便利でした。

 とにかくいつも読んでいましたね。家から一歩も外に出ない子供でした。学校では休み時間も昼休みも授業中も本を読んでいて、先生によく叱られました。ミステリーもSFもティーンズものも、ジャンルを問わず読破しました。私立の女子校だったので、長い通学時間に本を読んでいる子が多くて本の話や貸し借りが楽しかった。文芸部でしたが書くのではなく読んでばかりでしたね。当時、日本ファンタジーノベル大賞が盛り上がっていて、最終選考を楽しみにしていました。小説雑誌が母のところに送られてきていたんです。

 いまも同業者や編集者の方たちと一緒になると、小説の話や、キャラクターの話、作品の裏話など、いくらでも本の話が出来るんです。作家になったからこその、かけがえのない読書トークですね。

 また、昨秋、西日本ゆかりの作家など全16名で「なにげに文士劇」の旗揚げ公演をしました(演目は東野圭吾作『放課後』)。公演直前は稽古のために連日一緒に過ごしました。作家は孤独な仕事ですが、一日限りの公演のために過ごす濃厚な時間もまた、かけがえのないものといえますね。

本の救い、歴史の救い

 なので、私にとっては本が救いになっているのは確かですが、もうひとつは「歴史」でしょうか。

 実は、10年前に長年の不倫が発覚して、父が家を出て行きました。しかもそれで終わらず、様々な騒動が始まったのですが、そのさなかに『若冲』が直木賞候補に入ったんです。その連絡と父からの電話が錯綜したりして、もう本当に大変でした。

 ところが、我が家がすったもんだのときに、友人から連絡があって、彼女のお父様が危篤と知りました。それでふと気がついたんです。我が父は私と4歳しか違わない不倫相手と再婚して、友人のお父様はもう人生の終わリに近付きつつある。そうか、この世とは多くの人々の人生の連続なのだ、と。私の視点から見た人生はこれだけだけど、友人の視点から見た人生もあり、人それぞれにそれぞれの視点の人生がある、それがずーっと関わり、重なりながら続いていく、この途切れない流れが歴史なのだ、と。そのときに歴史がものすごく身近に感じられたのです。

私の人生も歴史の一部

 奈良時代というとすごく遠いものに感じますが、私の人生、友人の人生、母の人生、祖母の人生と、多くの人生の重なり合いなんですね。自分の苦しみもいつか歴史になるし、自分の身に起こった、いまは主観的な出来事も、いつか客観的な歴史になるのです。そう思ったら、すごく救われた気持ちになりました。伝染病や災害、戦争も乗り越えられて歴史になったのだと、過去の出来事に多くを学び、またすごく勇気づけられもしました。

■提供:真如苑

澤田瞳子
1977年京都府生まれ。作家。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士前期課程修了。2011年、デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞を受賞、2021年、『星落ちて、なお』で、直木賞受賞。近著に、『火定』『月ぞ流るる』『のち更に咲く』『赫夜』『孤城 春たり』などがある。

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