「おかあさんは恋に落ちたんだよ」怒りも嘆きもしない父… 自由すぎる親に反発した45歳夫が結婚相手に求めたもの
「常識」に憧れ
両親それぞれ、ユニークな人が多い一族だったようだ。そんな中で、宏一さんは「妙に常識に縛られるところがある子ども」だったという。周りからどう見られるか、普通とは何かをすぐに考えてしまうような子だった。
「高校時代はバンドを組んで音楽に夢中でした。一応、東京の大学には進学して音楽は続けていたけど、そのうち目標を失ってだらだら過ごすようになっていった。姉は大学在学中から起業していて、卒業後もバリバリ働いていましたね。妹は高校時代に、両親のいる場所と日本を行ったり来たりしながら自分の道を見つけたようです。やっぱり僕だけが置いてけぼり状態だった。学生時代は、自分と向き合う時間が長かったですね。ああいう変わった親や一族と接していたから常識的な道に憧れがあったけど、このまま大学を出て就職するのは何かが違うと思えてならなかったんです」
なにができるのかより、なにをしたいかを優先させようと考えた。やっぱり音楽をやりたい。遠い親戚にライブハウスを経営している人がいると親から聞き、その人を訪ねてアルバイトをさせてもらい、また音楽に浸る日々を取り戻した。
「自分でも演奏はしていましたが、なんだか満足がいかないんですよ。どうやって生きればいいのかがわからなくて……。音楽は好きだったけど、ライブハウスでいろいろなミュージシャンの音を聴くと、自分に才能がないのはすぐわかった。どんなに才能があってもメジャーになれない人もいる世界だから、僕程度じゃどうにもならない。当時は苦しかったですね」
「おかあさんがあっちで恋に落ちたんだよ」
そんなとき父がひとりで帰国した。母はそのまま現地で生活しているという。父は「おかあさんがあっちで恋に落ちたんだよ」と淡々と語った。
「ね、もうわけわからないでしょ、うちの家族。父は怒るでもなく嘆くでもなく、『もう一度、日本でやりたいこともあるからオレは帰ってきたけど』って。そのうちおかあさんも帰ってくるさと父が言うので、それでいいのかと聞いたら、『人の気持ちはどうにもならないさ』って」
両親の関係がよくわからなかった。彼自身、学生時代に恋愛も経験していたが、「好きだから相手を自分のものにしたい」と思いつめたこともある。だが両親は常に相手を解き放つようにしながら関係を保ってきた。
「親の恋愛なんて知りたくないと思う人が多いのかもしれないけど、僕は父の気持ちが知りたかった。あんなに好きな母を誰かにとられて、それでいいのかと。でも父は『相手の幸せを願うのが本当の愛情だとオレは思うよ』って。おかあさんが戻ってきたらどうするのかと聞くと、『おかあさんはオレを選んだということだろ。喜んで受け入れる』と。器が大きいのか鷹揚すぎるのかわからなかったけど、父が言うには、母は本気の恋をしている。浮気じゃないから応援したいって。そんなものなのかと衝撃を受けました」
父は新たに事業を興して楽しそうに日々を送っている。どうしてそれほど達観できるのか、宏一さんにはわからなかった。
「僕は大学を卒業したものの、やはり先が見えない。どうにもならなくて父の仕事を手伝うようになりました。父はやりたいことはないのかとか、この先どうするんだとか、いっさい聞かない。手伝うと言ったら、たいして給料は出せないぞ笑うだけ。父にはかなわない。こういう人にはなれないと思って、僕はさらに落ち込んでいきました」
20代前半は本当につらかったと彼は言う。自分が何者なのか、何者でもないのか。なにをしたいのかしたくないのかもわからなかった。それでも父を通して世の中を見ることで、少しずつ社会が見えてきた。
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