実は“女性読者”が支えていた「WiLL」「Hanada」の知られざる実態…安倍元総理の死去、ネット“陰謀論”時代の到来で“右翼雑誌”に活路はあるか

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 第1回【“右翼雑誌”と呼ばれても「WiLL」「Hanada」が絶大な支持を集めた理由…元編集部員が明かす「他の月刊誌ではありえない」名物編集長の仕事術】からの続き──。雑誌編集者として知名度の高い花田紀凱氏は、これまでに「週刊文春」、「マルコポーロ」、「uno!」、「MEN'S WALKER」、「編集会議」、「WiLL」、「Hanada」の9誌で編集長を務めた。(全2回の第2回)

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 この中で「WiLL」と「Hanada」は、いわゆる左派的な識者や読者から「いくら保守的な論調の雑誌だとしても、その度が過ぎている」と批判の対象となり、悪意を込めて「右翼雑誌」と呼ばれることも少なくない。

「WiLL」の創刊第1号(2005年1月号)は2004年の11月26日に発売された。この時、フリーの編集者でライターの梶原麻衣子氏は、システムエンジニア兼プログラマーとしてIT企業に勤務していた。梶原氏は第4号(同年4月号:2月26日発売)から「WiLL」を愛読するようになり、花田氏がマスコミ講座「編集者の学校」を運営していると知った。

 梶原氏は“オフ会”に参加するような気持ちで花田氏の講座を受講。梶原氏は大学時代から月刊誌の「正論」、「諸君!」、「SAPIO」などの“保守系月刊誌”を愛読していた。さらに当時の携帯に旭日旗のシールを貼っていたこともあり、花田氏の目にとまって「右翼少女」と呼ばれるようになった。

 講座で学ぶうち、梶原氏は次第に“即戦力”の片鱗を見せる。課題として提出を求められた企画案の1本が「日本を取り巻く『ドラえもん』の世界」というタイトルで、「WiLL」第7号(2005年7月号:同年5月26日発売)に掲載されたこともあった。

「まさに天職のように思えた」

 それからほどなくして、偶然に編集部で欠員が発生。花田氏が梶原氏を“一本釣り”し、IT企業から転職して編集部に勤務することになった。

「当時の『WiLL』編集部は部員が3人で、花田さんを入れても4人という小さな部署でした。意外に思う人も多いようですが、花田さんも私以外の編集部員も、その政治的な主張や考えは“右翼”ではありませんでした。確かに花田さんの関心事の中に、保守的なテーマが含まれるのは事実ですし、本人も冗談めかして『ちょっと右寄り』といっているくらいなので、そうした視点から特集記事が作られることも少なくありません。ただ、雑誌を精読してもらえれば、他の記事や連載にはリベラルな内容も掲載され、号によっては左派の論客も登場していることが分かってもらえるはずです」

 一方、梶原氏は花田氏から「右翼少女」と呼ばれたように、梶原氏が編集者という職業を離れ、一人の日本人、市井の生活者としても保守・右派的な考えを持っていた。これは「自分が雑誌に掲載したい記事や連載と、雑誌の全体的な方向性が合致している」ということを意味する。

 梶原氏の話題作『「“右翼”雑誌」の舞台裏』(星海社新書)にも、《右寄りの筆者にとって、『WiLL』『Hanada』編集部員という職業は、まさに天職のように思えた》という一節がある。“幸福な一致”ということだろう。

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